皆さんは学生のころ、夏休みの宿題をいつ終えたでしょうか。
「ふん、俺なんて初日に終わらせてたね」
「コツコツやって終わっていく過程が面白いんじゃないか」
「いつも最後のほうに慌ててやってたなぁ」
「いや、やらない!宿題なんてやったこともない!」
色々な方がいらっしゃるでしょう。私は最後のほうに慌てた派です。
人それぞれ夏休みの取り組み方がある中で、どのような経験をしてどんな結果が出たのかは人によって違います。
今回はそんな夏休みの取り組み方こそ、子供自身が選ぶべき理由を長期的な目線をふまえた紹介をします。
①実は気付いていない自由さ エビデンスレベル4
夏休みの宿題をいつやるかのタイミングが人によって違う事はお伝えしましたね。
その中でも「いつもギリギリにやってた」という選択を取る事が出来た人は実はラッキーかもしれません。
他にも、誰にも何も言われずに夏休みにいつやるかを自分で決めれた人はラッキーです。
なぜなら、自由な部分があったからです。
自己決定理論
エドワード・デシ/リチャード・ライアン
人は自分で考え行動し、結果を得ることで幸福感を感じます。
自分で選んだ行動だからこそ、深く内省する事ができ、成長に活かせるのです。
そのうえで質問です。
Q.夏休みの宿題の取り組み方によって、大人になった今こそ学ばされることはありますか?
私はあります。
①自由な選択によって知れた事
私はぎりっぎりまで夏休みの宿題をすることができませんでした。
場合によっては始業式にやったり、始業式二日目に友達に見せてもらったり。
ここで知れた事を二つ紹介します。
①ギリギリで【どうしよう】という感情に苦しめられた
要するに「やばい!」という感情に支配されて、怒られたらどうしよう、やってるフリしてやってない事が嫌にバレたら何されるかわからない。といった不安に苦しみました。毎回。学びなさい。
ここで大事なのは、やらなかったら怒られるという簡単な結論を学んだという事ではありません。
私は、ギリギリにすることで「やばい!」という感情に支配されて不安になりまくる傾向だという事が、ある程度わかったんです。
それが、あの時の夏休みの宿題との向き合い方を思い出すことで答え合わせできたんです。
この自己理解が、今のスケジュールの組み方と運用方法を作るうえでの参考になりました。
②グレーな事をやってもなんとかなる
本来、夏休みの宿題を始業式にやったりましてや二日目に終わらせて出すのはルール違反ですよね。推奨するわけではありません。
ですが厳密なチェックがされていなかったので、やってなくてもバレずに少しは耐える事ができました。
その間に完成させる方法が無いか。
やったという事実を最速で作るにはどうすればいいか。
ばれないための立ち回り方。
を頭をフル回転させた結果、見つける事もできました。
そしてそれを友達と共有する事で、他の方法も見つかることがあり、情報共有のコミュニケーションや自己効力感、課題解決能力を体験できてます。
これは、実際の社会においてもなんとかする方法が存在し、それをやってる人がいるという視点は幼いながら手に入りました。
経験者が口を出す事について エビデンスレベル3
さて、ここでいう経験者とは親や大人です。
「今宿題しないと後が大変だよ?」
「別に宿題なんて後にやればいいんだよ。今は思いっきり遊べ?」
一見、ひとつの意見としてごもっともです。
ですがその反面、余計なお世話であり、自由の剥奪であり、学ぶ機会の損失です。
「はぁ?親は社会人になったときの課題の取り組み方を教える役割だろ?今宿題のやり方を教えなくてどうするんだよ?」
これは完全に、親のルートに子供を乗せる事に他なりません。
「子どもの学びは、親の信じる正解に子どもを当てはめることではなく、子どもが問いを持てるようになることだ」
ジョン・デューイ
アメリカの教育哲学者は「教育とは経験の再構成である」と述べました。
つまり、子どもが「自分で意味づける」ことが成長の鍵であって『意味を与えられる』のは教育ではなく操作に近いとしています。
さらに、いつ宿題をするかを本人に決めさせることは、大人になってから本当に必要な自己責任を体験する最高のチャンスという視点が持てるでしょうか。
宿題の出来によって親や教師に怒られるとか怒られないとかの次元を越えてます。
言ってしまえば、宿題一つの取り組み方で
- 好きな人にどう見られるかの体験。
- どういう仲間が集まるかの経験。
- 自分の傾向を知る材料。
すべてになりえます。
この大事な経験を、大人の口出しによって選択を決めさせることで失う事が本当に教育なのかは私は疑問です。
- 失敗は買ってでもしろ
- 後悔先に立たず
と言う割には、それを体験する機会を奪うのが大人の干渉「宿題はいついつにやれ」ではないでしょうか。
「いや、待て。うちはそんな断定する言い方はしてない。あくまで提案」
果たしてそうでしょうか。
本人にそのつもりはない発言ってたくさんありますよね。
「まだ宿題やってないの?やったほうがいいんじゃないかなぁ」
「別にまだやらなくてもいいんだけど・・さ?」
この言葉を受けて、子供はどう感じるでしょうか。
強制感を感じる言葉 エビデンスレベル2
行動を促す言葉や、行動について見つめなおさせる言い方は子供にとっては「やれ」「やりなさい」と言われているようなものです。
人は、自由を奪われ強制を感じる言葉に敏感で、刺激を求める子供にとってはその傾向が顕著に出ます。
前頭前野(自己制御の中枢)が未発達
Steinberg, L. (2005).
子どもは、大人に比べて感情の自己コントロールや論理的判断が未熟です。
これは、脳の中でも前頭前野と呼ばれる領域がまだ発達の途中であるためです。
前頭前野は、衝動の抑制・計画・他者視点の理解などの高機能を担当していますが、この部分は25歳前後まで発達が続くとされており、10代は特に未熟です。
つまり、子どもは「今したいこと」に感情を強く動かされやすく、自由を阻害されると強い反発や不快を感じやすいということです。
Cognitive and affective development in adolescence. Trends in Cognitive Sciences, 9(2), 69–74.
「待って?発達途中で未熟?だったらなおさら大人が引っ張ってあげるべきじゃない?」
これだけではありません。
自己決定感への感受性が育ち始めている
Ryan, R. M., & Deci, E. L. (2000).
乳幼児期は親の指示で動いていた子どもが、成長とともに「自分で決めたい」という欲求が芽生え、これを自己決定感といいます。
思春期に向けてこの感覚はさらに強くなり、自分の選択を否定されたり操作されると、アイデンティティ(自己の尊重)への脅威と感じることがあります。
Self-determination theory and the facilitation of intrinsic motivation. American Psychologist, 55(1), 68–78.
よって、親による強制には敏感なうえ、尊重とは真逆の行動を取ってしまえば、子供自身が考えることを放棄する可能性があります。
このやり取りをご覧ください。
親「夏休みがもう1か月経ったよね?宿題まだやってないのってどう思う?」
と、声をかけたとしましょう
子供「うーん、良くないと思う」
これ、誘導されてますよね。
さらに別の例として
親「夏休みがもう1か月経ったよね?宿題まだやってないのってどう思う?」
子供「え?別によくない?ぎりぎりにやるからさ」
って言われて
親「そっか!ちゃんとやるならいいね!夏休み楽しむんだよ!」
と言ってあげられる大人がどれぐらいいるでしょうか。
いずれも子供は
「うわ、宿題をやってない事について文句言われそう。これ、やりなさいって言ってるよなぁ・・・」
という心理になるのがわかるでしょうか。
それでも自我を貫いて自分で選ぶのならまだいいです。
しかし、大人の呼びかけによって行動を強制したでは、先ほど触れた自由の剥奪になり、自己責任によって結果を得る最高の体験のチャンスを逃すことになります。
「じゃあほんとに宿題しなくなったらどうするんだよ!」
ほんとに宿題をしなくなった場合に、どんな結果が起こるのかを先に提示すればいいんです。そのうえで、どんな選択を取るか思考させることが重要です。
宿題をしなくなることが問題なのではなく、起きた問題を問題として認識しないまま育つことが問題です。
そこで必要なのが、どの選択を取るとどんな事が起こるのかの結果を教える。です
それは大人にしかできません。
子供ならではのハンデをあげる エビデンスレベル3
私たち大人が例えば期日までにノルマを達成しなかった場合
怒られるのか
寄り添われるのか
どこかの部署に多大な迷惑がかかるのか
新たなマニュアルが追加されてしまうのか
大人は自己責任の末、何が起こるかマジでわかりません。
それに比べて、宿題をどのタイミングでやるのか、あるいはやらないのかによって何が起こるかは知ってますよね?
その結果をいくつも教えておくだけで、どの結果を選ぶか、どれが正解なのかもしれないのか?という思考を促すことができます。
「やらなかったら何が起こるか知らないよ?」
これは子供にとってはハードモードです。
しかも「やれ」って言われているのと同義です。
「やらなかったらどうなるか知らないよ?」や「それってどういう事か考えてみた?」は、選択の自由ではありません。
子供からすればほぼ反対意見に聞こえてしまい、思考の強制です。
考えさせたうえで本当の自由を渡したいなら「こうなることもあるよ」と複数の未来の可能性をポジティブな結果もネガティブな結果も両方提示することが必要です。
ネガティブな結果だけ提示するのは恐怖による強制になります。
教師や親の視点に沿わない生き方をしたことで、逆に良かった点だってありますし、語れますよね?
例えば、手段A,B,C,Dがあるのに対し、結果A,B,C,Dを教えるだけでも大人としての役割を果たしつつ、子供の自由を尊重しています。
子供は、結果がわからない事に興味を示しませんが、結果がわかっている場合だとどれを選ぼうか思考し、それが思考力の鍛錬になります。
特に、10代のうちに思考の機会を与えるとIQに影響します。
実行機能
Best, J. R., & Miller, P. H. (2010). A developmental perspective on executive function. Child Development, 81(6), 1641–1660.
注意のコントロール・ワーキングメモリ・柔軟な思考・計画性・自己抑制など、思考と行動の中核スキルです。
これらは思考する機会が多いほど鍛えられ、学校や家庭での選択体験・意思決定体験が重要とされています。
10代の脳は思考回路を強化しやすい可塑性のピーク
Luna, B. et al. (2010).
脳の可塑性は10代にピークを迎える領域が多く、特に前頭前野や帯状皮質などの認知コントロール領域が発達します。
自分の選択によって異なる結果が生じるという経験は、因果関係の理解+未来予測+自己効力感の3点で脳を活性化させることがわかっています。
Maturation of cognitive processes from late childhood to adulthood. Child Development Perspectives, 4(1), 1–7.
ただし、かといって子供に思考を丸投げして何も干渉しないのは違います。
判断材料をきちんと与えたうえで自由にさせる事が、子供が貰うべきハンデです。
まとめ
今回は、夏休みの宿題の取り組み方を子供に自由に選ばせることが、大人になってから良い影響をもたらす事を解説しました。
ネガティブな結果ばかりを提示して、半ば恐怖による強制をし、主体性を奪う事は長期的に見て思考力を削っていきます。
そして、子供は広い視野をまだまだ持てなくて当然のため、かつ、刺激を求めるため、それを阻止されるような反対意見に対し敏感です。
「そんなつもりで言ってない!」は大人の主観です。
親の心子知らずは、子供に訴える言葉ではなく、子育てをするうえで大人が意識するべき言葉です。
いくつもの結果を経験し見聞きもした大人だからこそ、大人の主観で子供の正解を決め誘うのではなく、子供に教えて選ばせることが長期的に見て思考力のある賢い大人に育つでしょう。
夏休みの宿題の取り組み方を選ばせることは貴重な体験です。
今回はここまでになります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
※あくまでも、幼少期に数々の可能性を取りあげられてきた私からの切実な、科学的根拠に基づいた記事です。
実際にどのようにしていくかはご家庭による領域なので、踏み入るつもりは一切ありません。
参考文献
『人を伸ばす力―内発と自律のすすめ』エドワード・デシ
『思春期の脳』フランシス・ジェンセン
『教えない教育』苫野一徳
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