「今日はあれがやりたいな」
「今度はこれをやろう」
「もっとこれやりたいな」
このようなドーパミンの働きのおかげで快楽に結びつき、その快楽のおかげでストレスが解消されたり新しい発見へ繋がったり、人生の幸福感に繋がるのは人類共通です。
しかし、そのドーパミンに従ったゆえに見落とすモラルや自己損傷。
これらが大きなトラブルを招くかもしれないリスクに注意が向けられていないパターンはとても多いです。

かつての私もそうです。
よくある例でいえば、勉強を厳かにしテストの点数がひどくなった。
だったり
学校では好き放題友達と騒いでいたせいで一部からは煙たがられ(当たり前ですね。今の私なら「マジうぜぇ」と感じます)好きだった女子からは嫌われる事もありました。
歳を重ねた時に起きた事で言えば、目の前の快楽に負けて課金をし、食事の質を落として肌が酷い事になったり。
今回はこのような、ドーパミンに支配されない生き方を知識としてお届けします。
節度のある快楽探求行動こそが、もしかしたら人生を一定に平和に幸せにかつ緩やかに幸福度を上げていくのかもしれません。
そして、節度がなく皆さんを傷つけてくるような行為を平気でやっている人々の頭の中はどうなっているのでしょうか。改善方法はないのでしょうか。
多くの視点を持つ エビデンスレベル2
その方法の一つに、多くの視点を持つことが挙げられます。
先ほどの私の例でいえば、好き放題はしゃぎたいという欲求があるのとは裏腹に
- 風邪でしんどいのに登校してきて、やっとの思いで着席している
- 友達と会話してるのに騒がれてるせいで聞こえない
- 授業が耳に入ってこない
- 興味ない会話が自動で耳に入ってきて不快
当時の私には未熟ながらこんな視野はもてませんでした。
こういう目に合う人の気持ちを予め知っていれば「自分がそういう目に合ったら確かにうざいな。自分は良いけど他人は駄目っていう考えは最低だ」と戒める事ができ「友達とはしゃぎたい」という欲求にも理性をかける事ができ、場所とタイミングに配慮をした快楽とするなど、行動が節度のあるものへと変更できます。
では、読者の皆さんにはおそらく縁のないヤリモクと呼ばれるもっと節操のない考えを例にしてみましょう。
彼らは自分の状態が心身ともに満たされる事を予測し期待し、行動に移そうとします。
これはいたって、生物としては通常の行動です。(人間としてではありません。生物としてです。)
ましてや性欲というのは、人間の欲求の中でもかなり上位を占めており、制御が難しい欲求ともされています。
ですが、かといってこれを欲のままに行動するとどうなると思いますか?
世間ではこんな問題がいつも絶えないですよね。
・セクハラ
・ストーカー
・性が関与した犯罪全般
・無責任な関係
・避妊問題
・自分の周りの仲間への配慮が欠ける
・自分の所属する組織に配慮がなく、全体の印象を落とす迷惑
・望んでもいない相手を巻き込む迷惑
など挙げだしたらきりがありません。
「生物の本能には沿っているから」
「制御が難しい欲求なんだよね・・」
と、それで許容していい問題でしょうか。
これらは長期的に見てその人自身の未来も壊す行為で、発端はドーパミンにあります。
最悪の場合、相手の人生やメンタルも破壊するうえにとんでもない損害賠償が発生する事にもなります。
これ、本当に幸せに繋がってますか?
破滅の未来になってますよね?
いつまでも自分本位でしか生きない考え方は非常に危険です。
これを解決するためにはこれらの例を
- 被害にあう側であったり巻き込まれて迷惑をかけられる側
- その身内の立場
- そういった被害を受けた声や視点
- それに対する厳しい批判の意見や処罰の例
これらの気持ちなどを知り、知見が増えれば理性が勝つようになり、結果的に平穏な人生へ繋がります。
もしかすると、知見がない事によってドーパミンに振り回され、行動を間違え、なおさら心の傷を深くする毎日を送っている人もいるかもしれません。
他者視点を増やすメリット
Roy Baumeister
自己制御能力の向上に繋がるとされる研究があります。
自己制御と簡単に使われる場面が見受けられますが、自分の欲求や感情をコントロールし、短期的な報酬よりも長期的な目標を追い求める習得難易度の高い能力です。
この自己制御力は、前頭前野の活動と関わりがあり、この部位は計画性や意思決定、社会的な認知に関与しています。
他者の視点を意識することで、社会的なルールや他人の感情やニーズを尊重しながら行動することが促されます。
この意識は、自己中心的な衝動を抑制し、長期的な視点での意思決定を助けます。
このような思考の仕方は、ドーパミンが引き起こす衝動的な行動の影響を抑えるのに役立つと考えられています。
他者視点を持つことは、共感の強化にもつながります。
Tania Singer
共感は他者の感情や状況を理解し、感情的に反応する能力です。
共感の神経基盤としては、前帯状皮質や鏡像ニューロン系が関与しており、これらの神経活動は他者とのつながりや社会的な相互作用に関わります。
共感が高い人は、他者の感情や視点に対して敏感であり、利己的な欲望や瞬間的な報酬に引きずられにくくなります。
実際に、共感的な反応が強いと、ドーパミンによって引き起こされる一時的な快楽に対して冷静に判断することができ、より冷静で理性的な行動が選ばれる傾向にあります。
Matthew D. Lieberman
他者視点を持つことによって、自分自身の感情や欲求への過剰な集中が減り、より広い視野で物事を捉えることができるようになります。
Richard Davidson
これにより、ドーパミンが引き起こす一時的な欲求や快楽にとらわれにくくなる可能性があります。
他者視点を持つことによって、未来志向の思考(ダジャレではありませんよ)が促進され、今すぐの快楽よりも長期的な目標や他者のニーズに目を向けることができます。
Walter Mischel
これにより、瞬間的なドーパミンの刺激に引き寄せられることなく、より理性的で成熟した選択ができるようになる可能性が高いです。
ドーパミンは瞬間的な報酬を求める衝動を引き起こしますが、未来志向や他者視点を強化することで、長期的な計画や意思決定に集中できるようになり、結果的にドーパミンの影響を抑えることができるのです。
Read Montague
節操のない例をあげていますが、私のように食事の質を落としてまでやってしまう課金についても同じことが言えます。
自分の尊敬している人、好かれたい人にもし、食事の質を落としてまで課金をしてることが知られたら何と思うかを想像してみるんです。
ドン引きされるかもしれない→なぜ?
- お金の使い方がルーズだと思われる
- 「だから肌の状態が悪いんだよ」と頭が悪い人と思われる
- 我慢ができない人と思われる
- 信用を落とす
冷静に考えて、そうまでして課金をしてゲーム内のステータスを良くして「私生活にストイックでゲームに真面目で素敵だね!」のようなリアクションする人はなかなかやばいですよね。
デメリットが想像できないとしたら知見が浅いため、それこそ他者視点を学んでみる事が有効です。
自己調整 エビデンスレベル4
「うざい!お前自身には関係ないだろ、ほっとけよ!」
「そんなの無理、我慢できない」
「他人がどう思おうが関係ない、自分が優先だ!」
これは、自己調整能力が低いか、自己肯定感が不足している可能性があります。
特に「他人なんて関係ない」と感じてしまう人は、自己肯定感が低い事により「どうせ他人を意識したって自分が間違ってるのは知ってますよ」と半ば不貞腐れてしまうため、そのように傷つくことを恐れ「他人なんて関係ない」と自己防衛的に耳を塞いでしまいます。
「他人なんか関係ない」と言う人は、自己肯定感が低いために他者との比較に価値を見いだせないことが多いです。
(Neff, 2003)
だから、他者視点だったらこうするべき。という正論と自分が考えている事を比較する事に対し、どうせ自分が間違ってる。とわかっていて傷ついてしまうため、反発してしまいます。
心理学的には、自己肯定感を高めることで、他者との関わりにおいてもより成熟した視点が持てるようになるとされています。
実は、このような反抗的な態度や自己中心的な考え方は、成長過程で見られる自然なものです。
脳科学的に見ると、特に前頭葉(理性や判断力をつかさどる部分)の発達が完全に成熟するのは、25歳前後と言われています。
そのため、若い頃や未成熟な段階での反発や自己中心的な発言は、脳がまだ他者視点や社会的責任を持つのに十分な準備ができていない状態から来るものです。
だから自己調整能力がまだ低いんです。
この時点での言動は「自分が一番」「他者は関係ない」といった自己中心的な思考が強い事はどうしてもある場合があります。
まずはそんな状態を責めず「今はまだ成熟してないだけだ。25歳前後とはいえ個人差はある。いずれ落ち着く未来もちゃんとある」と、切り捨てない考えが大切です。
確かに、成熟している人間や、モラルの欠けた行動を嫌がる人間、実際に被害にあった人々の声の中には
- 幼稚
- お子ちゃま
- クソガキ
- 社会に要らない
- 存在が迷惑
などと、強すぎる暴言が飛び交う事もありますが、これらは本人の成長を止めてしまいます。間違っても自分自身に強すぎる暴言をかけないでくださいね。
そして「痛い目を見ないとわからないんだよ」といった言葉もありますが、これは被害にあった人やその話を不快に思った人たちからの不満+痛い目を見るまで理解できない知能だという皮肉がこもった言葉であり、正しさとしても一理ある言葉でもありますが、必ずしも痛い目を見ないと理解できないわけではありません。
前述の通り、成熟が追い付けば他者視点を考え、受け入れられるようになり、自分本位の行動、欲に振り回されるだけの生き方がみっともない事に気付くようになります。
「あれ?これは何が言いたいの?」
この話は、他者視点を持つことがドーパミンに振り回されず理性を聞かせられるという話に対し、余計なお世話だ!と反発する反面で、ほんとはその通りだと思うけど受け入れ切れない人の脳の状態を解説しています。
未熟ならいいのか?(筆者の考え) エビデンスレベル5
「未成熟だから他者視点が分からず欲求のまま動くってことね?でもそれいいの?」
「子供だからしょうがないってこと?」
「ふざけるな。実際自分はそういう奴らにひどい目にあわされたんだぞ」
「筆者はどうなんだ?理由があるなら嫌な目にあわされても未成熟だとかなら許せるのか?」
私も同意見です。
ここまで学んだ以上、私自身は、悪い行為をはたらく人間のことを少しでも仕組みとして理解することができ、学習しない心理についても理解が少しはできるようになりました。
かといって人に迷惑をかけ、挙句の果てには心の傷に発展するような行為を許すことは今後もできないでしょう。
先ほど挙げた、好き放題騒いでしまっていた私の学生生活においても、好き放題によって不快を抱いた方々に多くのご迷惑をかけてしまったと感じており、時が経った今ではそれがいかに煩わしい事だと理解できます。
誰かと友達になってはしゃいだりしてみたくてもできない人もいます。
笑い声が聞こえた時、自分の事かと思ってソワソワする事もあります。
会話内容が不快で「あー・・地獄の時間が始まった」と感じる事もあります。
それらを全て配慮できてない行動でした。
よって、他者視点をガン無視した言動は許されるべきではありません。
今となっては一部を除き多くの人に赦されたのでしょうが、行為自体は許してはいけないですよね。
漫画っぽい台詞になってしまいますが
やってしまった事を一度赦すことはできても、許すことは絶対にありません。(多分みんなそうです)
欲求に従って、世間的には良しとされない行動を選択してしまうメカニズム自体は理解できます。
「自分はクズなんだよ、どうせ」と開き直り、もっと自分を悪人にしようと自分を捨てようとする人がいれば「いずれ成熟するから自分を捨てる必要はない」と声をかける事は出来ます。
しかし、実際にやってしまった事は許されるべきでも容認すべきでもないと考えています。
よく
「やられる覚悟がある奴にしか認められない」
「やられる覚悟もないならやるな」
といった発言がありその通りとは思います。
私はそれに付随して「やるならやられる覚悟を持ち何があってもそれを全て受け入れろ、そしてそれによって起きた相手への損傷を完璧に補填できるのなら初めて検討の余地がある」と考えています。
ですがそんなことはほぼ不可能です。
要するに平たく言えば「そもそもやるな」です。
もちろん、やろうとする行動に一定の正義や倫理観が語れるのなら議論の余地があり、この限りではないと思っています。
「えっと、あの・・課金とかそういう自分だけで完結する事なんだけど・・」
自分だけで完結するのなら全く問題がありません。
しかしそれが、わずかでもどこかに影響があり、チリツモで周りとの問題にまでなってしまうのなら冷静になって他者視点がわかるようになるべきでしょう。

私自身も、課金を自分だけの問題だと勘違いしていました。
全くお金を貯めない事で、いざ必要な出費があった時に一旦は人から借りる事をやってしまい、その間その人が本来考えていた裕福を一時的にでも奪っていました。
その他にも、課金をしてゲームにのめり込んで時間を注ぐわけですから、もっと時間を一緒にすべきだった相手とはもう二度と会えない状態になってしまった今、大きな後悔を背負っています。
まとめ
快楽は人の動きを強制してしまいます。
しかし、色々な視点を持つことが快楽による支配から抜け出す方法です。
かといって完全に断つわけでもなく、程よい付き合い方ができるようにさえなります。
そして、このような助言を鬱陶しいと感じてしまうのは、性格が駄目なのではなく、例外こそありますがまだ成長途中だという事です。
だからといって良しとされない行動を容認するべきではなく、駄目なものは駄目です。
今回はここまでになります。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
参考文献
『欲望の正体 ドーパミンが語る「快楽」と「依存」の科学』アンナ・レンジ、ジャドソン・ブルーワー
『なぜ僕らは働くのか』池上彰
『スタンフォードの自分を変える教室』ケリー・マクゴニガル
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