皆さんは教えてもらう立場がまだまだ多いでしょうか?
それとも、教える立場が多いでしょうか?
私は社会復帰が遅れた事に加え、三度は仕事を変えているため教わる立場ばかりを経験しています。
さて、そんな私も心の病から回復し、社会復帰をして継続しているとはいえ、決して満たされ続けているわけではなく、多くの苦悩を抱える時期もあります。
その理由として、誰から見ても良しとしない性格を持ち合わせる人物と居合わせたり、一般的にはブラックと呼ばれる労働環境に就いてしまうなどを経験しましたが今回はこれらのよくある話は除外です。
今回取り上げたいのはこんな苦悩です。
「教わっている身だし、アドバイスだとわかるのに鬱陶しい・・・」
「やっとできるようになったのにまだ駄目なのか」
「言ってる事は正しいんだろうけど自分には合わなくて苦痛」
「言ってる事が人によって違いすぎてたまに頭にくる」
これ、皆さんもないでしょうか。
私は結構感じてしまいますし、ブラックな環境から逃れて比較的良心的な企業に就くことができ、人柄が素敵な人が多いのにこのように感じてしまいます。
この原因は、他の記事で取り上げた自己調整能力の低さでしょうか。
自己肯定感の不足でしょうか。
それとも、年齢が30代になっているのに言われてしまう未熟さを認めたくない心理やプライドが素直さの邪魔をしているのでしょうか。
総じて、本人の能力の問題なのでしょうか。
「反発心」のメカニズム エビデンスレベル1
まず、なぜ反発心が起こるのでしょうか。
実はこれ、科学的に説明できます。
素直さを妨害するのはプライドだけではありません。
自己決定理論
自己決定理論
Deci & Ryan, 1985
人は「自律性・有能感・関係性」の3つの心理的欲求を満たされることで、やる気を維持し、健やかに行動できるとされます。(自律性は主体性とも解釈できます)
このうち「自律性(自分で選択している感覚)」が否定されると、内的動機が低下し、反発や無力感が生まれます。
日常の例に照らし合わせると・・
「アドバイスばかりで、自分のやり方を尊重されない」
「正論ばかりで選択の余地がない」
これらは自律性の剥奪にあたり、自然と反発心や無力感が生まれることを指します。
多すぎるフィードバック
多すぎるアドバイス・助言・否定によって
「せっかくやる気だったのに萎えた」
と、感じる事はありませんか?
そしてそれを
「自分は社会人の器じゃない」
「自分は幼すぎる、社会に合わないんだ・・」
と、自分の事を責めていませんか?
その自己否定はストップしてください。
過度なフィードバックと「脅威の知覚」
Kluger & DeNisi, 1996(フィードバックの効果に関するメタ分析)
フィードバックは効果的だが「過度な指摘・修正・否定的言葉」は、自己効力感を下げ、モチベーションを大きく損なうと示されています。
特に「できるようになったと感じていた部分」への否定は、強い「自己脅威」となり、防衛的になりやすい。
例えば
「やっとできるようになったのにまだ言われるのか」
これはまさに、有能感の剥奪にあたります。
これは、人間として当然苦しくなる状況だとされています。

正論を突き付けるのも、ただ突き付ければいいわけではない理論と一致しますね
アドバイスされすぎ
「自分は教わる立場ばかり」
「まだ仕事に慣れていない」
という状況において、このような感覚は非常に多い事でしょう。
しかし、だからといって助言されまくる事は必ずしも正しいわけではない事が科学では証明されています。
アドバイスは「助けようという意図」がある一方で、相手に「コントロールされている」「見下されている」と感じさせやすい事が示唆されています。
Goldsmith & Fitch (1997)
特に自己評価が低下している状態(新しい仕事や挑戦時など)では、アドバイスを脅威的に受け取ってしまいやすいとされており、防衛的な姿勢を取る可能性が高くなります。
さて、ここまでを知って助言を受けているのに反発心が芽生えるという状況をどのように解釈しますか?
「自分は当てはまらないけど?本人の器の問題だろ」
「未熟なんじゃない?社会人なんだから教えてもらってるだけありがたいと思いなよ」
「教わる側になんで合わせなきゃいけない?仕事なんだぞ?我儘言ってないでさっさと仕事覚えて戦力になるように我慢すべき」
果たして、こんな言葉が正しいのでしょうか。
あなたはどう思われたでしょうか。
そしてこれらの科学的根拠、仕事だけに言える事でしょうか。
「科学的にわかってもどうすればいい?このままは苦しい」 エビデンスレベル2
さて、やんわりとお伝えしているつもりではありますが、もうわかりますよね?
アドバイスに対する反発心は、本人の未熟さやプライドの問題で完結する話ではありません。
人の尊厳にかかわっており、自分を保つための自然かつ心理的にも正しい反応です。
しかしそれがわかったからといって今日から楽になるなら苦労しません。
そこで、少しでも状況の受け止め方を自分で工夫できる方法をお伝えします。
自己否定しない
まず、自分がつぶれないためにも自責を感じない事が重要です。
自責ばかりが重くのしかかるとメンタルを大きく削ってしまいます。
そして「自分が悪いんだ・・」と感じる癖が出来上がってしまうと「何をやっても自分ってこうなる」という自己否定につながり、頑張る事そのものに対して燃え尽きが起きてしまいます。これは怖いですよね。
「感情」を否定しない
Gross, 1998/感情調整のメタ認知
「こんなふうに思ってしまうのはダメなことだ」と思うと、自責感や燃え尽きに繋がります。
むしろ「これは自然な反応なんだな」と受け入れるだけでも、自己調整力(emotion regulation)が高まります。

「これは自然な反応なんだ」と思っていただくための根拠として、私は多くの科学的根拠を調べ、掲載しているんです。
自律性を取り戻す
自己決定理論に準じて、自律性が奪われている又は奪われそうなら、自分で自律性を保つんです。
行動一つをとっても、一本に縛られていませんか?私は縛られています。
「あの人のあのやり方はいい」
「この人のこの考え方は素晴らしい」
「そういえばあの時のあの考え方いいな」
「そういや、あの頃のあの方法、これにも使えるかも?」
このように、自分で選べる範囲を増やすことで、心理的抵抗感が減少することが確認されています。
「言われた通りやれますが、その上で自分なりに工夫してもいいですか?」
こうして、相手の言うことを尊重しつつ、自分の裁量を回復する方法も効果的です。かといってこんな一言が言えるなら苦労しませんよね。

中には言動を監視してる人もいて、ちょっとやり方を間違えただけで鬼の首を取ったかのように指摘してくる人もいます。
面倒な人がいる前ではその人の顔を立てるように、その人の望む行動をしている方が無難です。私はそれがかなり難易度高いですが・・
「承認を受けられる場」を別に作る
『あなた』が認められる場を持っているでしょうか。
現実でもネットでもいいです。
否定ばかりが続き、あなたという人物の承認が得られないと、最悪の場合自分の存在意義を見失う事に繋がりかねません。
たとえばSNSやオンラインアプリなどで、自分の経験や気づきを発信したとき「見てくれる人がいる」という実感を得ると、自己効力感が回復します。
(Bandura, 1997)
自己効力感は個人の行動意欲にも関係します。
個人がしっかり『生きている』感覚を得られる場がないと心は枯れてしまいます。
今の紹介では自己効力感をメインに出していますが、自己決定理論の『有能感』『関係性』にも繋がってくる話ですね。
まとめ
今回の話を聞いてもなお
「助言してもらってて反発心だと?甘えてるのか?」
このような言葉が正しいと感じるでしょうか。
助言に対して反発したくなる心理は、未熟さやプライドだけでは説明できない、根本的な心理的ニーズが背景にあることをお伝えしました。
よって
「せっかく助言を受けているのに心では反発心を抱いている自分」
を責めるのではなく「反発心が出ている=今、無理してるサインだ」と自覚し、その感情を否定しないで受け入れてほしいんです。
こうしてできる限り自律性・有能感・承認を取り戻す工夫をすることで、モヤモヤが軽減されていくんですよ。
今回はここまでになります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
参考文献
『人を動かす』デール・カーネギー
『モチベーション3.0』ダニエル・ピンク
『フィードバック入門』高橋俊介
『影響力の武器』ロバート・チャルディーニ
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