このブログは3日に1記事投稿でお届けします。
※著者は資格者ではありませんので、お読みいただいて効果を保証するものではございません。
こんにちは、矢沙玖です。
前編では、他人のSNSを不快に思う事を自責に思う必要はなく、自然である解説をしました。
同時に、そういった投稿をしている人々の根本の紹介もしました。
ただ、全てがそれに当てはまるわけではないので注意してください。
前回も挙げましたが、何億の人間がいてその数だけ思考パターンがありますから、いくら科学的根拠がいくつもあるとはいえ、少ない知識で納得しきって縛られるのは落とし穴です。
今回は、SNSに対し、向き合うでも工夫するでもなく、離れろと言われる理由を深く解説し、科学的根拠に縛られない正しい解釈の仕方をお伝えして記事をしめます。
なぜSNSから離れろと言われるのか
物凄くおおざっぱに結論からお伝えすると
何憶何千万という考え方が一つのネットワークに集中しており、いくらフォロー・フォロワーという仕組みを使って絞ったとしても、あなたと違う考え方の数々が無数に訪れます。
それに対して都度反応するのは、メンタルをすり減らす行為でもあり、時間も消費し、最悪の場合はお金すら使うことに繋がるので、自分の幸せに結びつく明確な目標がないのなら辞めた方がいいからです。
例えばSNSから私のブログに来てくださった方、本当にありがとうございます。
私のブログを読むことが幸せであったり、学びであると感じてくださるのなら、SNSによって私からの更新通知を受け取る事は人生に有意義ですから、この場合はSNSを効果的に扱っている事になります。
この文章でもう他に書くことが無くなった気もしますが、補足をしっかりつけていきます。
例えば、他人の投稿が自己中心的や過度に自慢っぽく映ることもありますが、ここで大切なのは、他人の視点や価値観が自分のものとは異なるのはそもそもの前提だという事です。
あなたが「きもい」と感じるものでも、投稿した本人にとっては自己表現の一環であり、何か重要な意味を持っている可能性もあります。
私のブログを誰かが「きもい」と思っても、私にとっては物凄く意味のある活動です。
私のアイコンを「いい歳したおっさんが鳥の寝顔をアイコンとかきもい」と言っている人がいても、実はこのアイコンも、心の傷を受けた方々には特に、これぐらい気持ちよさそうに尊い表情で休息を取って欲しいという意味もあってこのアイコンにしているんです。こう説明する事に意味はないというのは前編でお伝えしましたね。
このように、投稿者にとっては自己表現の一環であり、重要な意味があるというのは事実です。
SNSは、基本的に各自が自分の世界観を自由に表現する場所でもあり、ルールです。
と、ここまでが発信者側の権利の話です。
これを、発信者の数だけ理解するべきというのは暴論です。
だからこそ、気に入らない投稿があればミュートやブロックが推奨されており、とある他者の投稿を「きもい」と思う事が自然だからこそ、ミュートやブロックの機能が用意されているんです。
人によってきもいと思うポイントと、本人にとっては届けたい投稿なんだ!と思う部分がぶつかることは自然です。
ただ私の場合は、そういうのを都度判断してミュートやブロックをしていくのがめんどくさいからSNSをやめました。
「この人の投稿いいなぁ!!・・・あれ、こういう事も発言するのか・・ああ、そうだよな、うん。」
「この人フォローしたから毎回この人の変な投稿が・・・ミュートミュート」
といった感情に何度もなるのが疲れてしまうんです。
「自分の器が狭いのかなぁ・・」だとか、変な自己否定の元にもなりますからね。
この経験から、SNSから離れろという発言は一定数において正しいと思いますよ。
必ずしも科学的根拠に沿った投稿になっているわけではない
さて、私の記事では確かに、SNSを不快に感じるメカニズムや、本人たちの投稿の意図を科学的に見て述べましたが、必ずしもその通りではもちろんありません。
全く意図が読めない範囲に対し、科学的観点を持ち出して、もしかするとこうなのかもしれません。
という仮説にすぎないんです。ただ、科学的観点で述べている以上は精度がそれなりにはあるというだけです。
例えば私のブログで言えば、どこかの他者と比べて知識の量の優位性を示すために発信をしているわけでもないですし、SNSでの更新通知も、どこかの他者と比べて頑張ってるアピールをするために発信しているわけでもありません。
学んだことと実体験を交えて届ければ誰かを救えるかもしれなく、誰かを本当に救えたら私の傷も報われるからやっています。
この分野においては学ぶのも楽しくてやってます。芸能とか手芸、ビジネスマナーや集団行動の話になるとポンコツです。
学んでいる自分の優位性だったり、誰かを助けようとしている自分かっこいいだろう?というアピールのためにやっているわけでは全くありません。
皆さんもそうではないでしょうか。
かといって自分が理解できない投稿の数々をひとつひとつ理解しようというのもきりがないですよね。
理解が難しい分野においては、一定の科学的観点を集めて、その通りに行動をするのではなく、あくまでも自分が納得する材料としておき、深く考えずに手放すことが賢明だと考えます。
縁があれば、しっかり納得できる機会が訪れる事でしょう。
なので私も、今回のSNSの話については科学的観点を述べたうえで、それを確定事項としてお伝えするのではなく、このような考え方もあるので、そう考えれば気持ちも楽になりませんか?という緩和方法として用いているわけです。
睡眠不足による脳へのダメージや、鬱になってしまう習慣といった、明確な答えが科学的に出ている場合は、確定事項は強くお届けしていますよね。
他方で見た時に確定できない場合は、一つの科学的な考え方としてお届けするような意識をしていますが、他の解釈があるにも関わらず答えを絞る発信をしている事もあるかもしれません。もちろんそれがないようには学びを深めています。
まとめ
いかがでしたか?
SNSでそもそも悩んでいるのなら、いっそのこと手放してしまうのも効果的です。
案外無くなっても困りません。
いきなり手放すのはもちろん難しいので、フォローの整理、SNSをする時間の設定、SNSを何のためにやっているか考え直すなど、扱い方を考え直すのもいいかもしれません。
思考停止でインストールしていた場合はなおさら効果があるかもしれませんよ。
さて、今回はSNSという世界の中で、他者の気味の悪い言動を取り上げてその意図を科学的に推定してみましたが、もちろんSNS以外でも説明がつきます。
他人の言動をいちいち不快に思ってしまうあなた。決してあなたに問題があるわけではありません。
とはいえ、それらの言動が法律やモラルに大きく問題がありそうな場合は、ものすごく気になりますよね?
今後、あなたを実際に苦しめている状況に対し、科学的に見て、辛さを感じる正当さ、逃げる事の正しさ、休むことの正しさをお伝えするのはもちろんです。
加えて、法的な観点から見てその相手が間違っているのかどうかもわかる記事になれば、あなたが尚の事、次の行動をしっかり考えられる手助けになると考えています。
それも意識した記事を届けていく予定です。
それでは今回はここまでになります。最後まで読んでいただきありがとうございました。
参考文献
『ソーシャルメディア心理学』アダム・オルター
『メンタルモデルの世界』ピーター・センゲ
『承認欲求の精神分析』河合隼雄
『現代の自己愛と他者の役割』小此木啓吾