初めまして、矢沙玖と申します。
心に傷を抱え、対人や社会に対する自分の在り方、生きづらくてたまらないと苦しむ方々へ励みになる文章を届けられたらと思い、至ります。
突然ですが、質問を2回させてください。
対人不安についての質問
質問1
Q.あなたの目の前に、道がわからなくて迷ってる知人がいました。どのように感じますか?
全くの他人でもいいですし、親しくない同僚やクラスメイト、バイトの人、でもなんでもいいですよ。答えは一つではありません。人によっていくつも回答が異なります。
A.私の場合、このように回答を挙げます。
・自分が話しかけなくても誰か話しかけるでしょ。
・え、どうしよう、え、どうしよ・・えーっと・・・
・高圧的な人だったらどうしよう。
・おそらく1分もしたら自分で調べるだろう。
・見なかったことにしよう、自分が気に掛ける余裕ないや。
・自分なんかの助け、誰も必要としてないさ。
・こんな自分が近づくのなんて、相手は嫌がるだろう。
・そんな状況を発見してしまった時点でめんどくさい
挙げだしたらきりがありませんし、だんだん落ち込むような気さえします。
もうこの時点でストレスを強く感じる方もいるかもしれません。
それでは次の質問へ移ります。
質問2
ではもし、道を教えることができても、このような場合どうでしょう。
Q.特に深く感謝もされず、ちょっと目を見られただけで「あっ、ふーん、ありがと」で終わってしまったらどんな気分ですか?
A.これもたくさんの回答が浮かびそうですが、かつての自分ならこう思います。
・自分だったら目を見てちゃんと頭を下げて敬語でお礼を言うけどなぁ。
・なんだかもやもやする、やっぱり放っておけばよかった。
・え?友達みたいなお礼の言い方なんなの?
・これだから人と話すの嫌なんだよなぁ・・・
のように嫌悪感を抱きます。とてもストレスです。
人嫌いが加速する瞬間です。
世の中は答えを持っていない
突然の質問にお付き合いいただき、ありがとうございます。
せっかくお答えいただいたので正解をお出ししたいのですが、どれが正解というのも、不正解というのもないんです。
「じゃあ何のために聞いた?」
それは、あなたの感性であったり、個性がちゃんとあるという事を認識していただくためです。
実際に私が挙げた例に対して、どう感じたでしょうか。
「え?そんな風に思うの?なにそれ(笑)」
だとか
「何その考え方、つまんなさそー」
のように思ったでしょうか。もしくは
「この著者はそう思うんだ」
とか
「そういう風に思う事もあるし、そういう人もいるよなぁ」
と考えた方もいらっしゃると思います。
中には、共感して下さった方もいるかもしれません。
このように、異なる意見があふれている事を再認識していただきたいんです。
だから正解がないんです。
もちろん正解が欲しい所ですし、自分の回答が正解であってほしいです。
しかし、人それぞれだという事が世の結論で、私自身もその事実に何度もモヤモヤしてきました。
感じ方が人によって違いすぎて、時には自分の親切心が踏みにじられるような気持ちになることもあり、傷つきやすい人も存在します。
それがそのまま生きづらさに繋がる人だっています。あなたはどうでしょうか。
「こっちはこんな想いをさせられたんだよ!?なんであっちは楽な事ばっかりやって・・・」
「おかしいのはあっちだよ!」
これらの主張が通らない事、本当にモヤモヤしますし、対人が億劫になりますよね。
それぞれの個性があって認められているからこそ、世間にはこれといった正解がない事になり、あなたが生きづらいままなんです。
世間の相手をするよりも、あなたを理解するための一歩を
あなたを苦しめる現実ばかりに直面して疲弊しているところに、更にあれこれ口出しをしてくるのも世間ですよね。
それに対して、きちんとリアクションをしていませんか?
もっといえば、世間に正面から構ってあげてしまっているのが、心に傷に苦しみながら理不尽に憤りを感じている方々だと思っています。
そんな真面目な方々だからこそ、気付かない間に疲れているはずです。
そんな気疲れが蓄積し
対人不安、対人恐怖症、パニック障害、など、だんだんと生きづらい状態になりますよね。
適応できていない自分を責める時もあるでしょう。
ですが、自分を責める必要はありません。あなたが真面目に接した事に何の罪もありません。
真面目に生きる事を美徳とされているのに「真面目過ぎるんだよ」と一蹴される風潮。
こんな矛盾をあちこちで感じる社会には疑問が絶えません。人によっては「ふざけてる」と苛立つ方さえいるかもしれませんね。
あなたがどのようにしたとしても、それがあなたの感性ですし、そのように考えてしまうことを誰かがとやかく言う権利はありません。
「えっ?さっきの質問で、まともなお礼を言わない相手に対して嫌悪感を抱いたよ?」
「嫌悪感を抱く権利がないっていう捉え方もできないか?」
「はぁ、やっぱり対人ってめんどくさいなぁ。我慢しなきゃなのか。」
そう思うのもわかります。
ですが、嫌悪感を抱くのは問題ありません。
なぜなら、あなた以外にも同じように感じる人がたくさんいますし
道を教わった人が相手の事を全く考えない自分本位のお礼の伝え方をすれば、不快に思う事があっても正常です。
だからこそ「こんな事で嫌悪感を抱くの?」とか「人からあれこれ言われたくないから、人の事もあれこれ思っちゃいけない」なんて窮屈にならなくていいんです。
実際にあなたは傷ついていますし、これ以上無理をしないでください。
世間の言う美徳はもう、あなたを窮屈にする事がほとんどだということが科学的にわかっています。
時代は変わっています。あなたは守られるべきです。
さて、紹介が遅れました。
少しだけ自己紹介をさせてください。
私は鬱と適応障害を患った経験があり、引きこもりも経験した30代男性です。
え?男性だから記事を閉じる?ちょっとまってください(笑)
はっきりとした診断を受けてから、約8年かけてようやく社会に参加しようと思い立ち、向き合うことができました。
今、社会復帰をしてから一般常識というものがないながらも会社の人間という役割を継続しています。
思えば、幼少期から精神病の発症が既にあったと思っており、二十歳を超えてから診断をしたことで確定したといえます。
そして今の私の性格ははっきり言って
- やさしくない
- 時には自分勝手
- 他責思考
- 人生受け身
- せっかち
- 物欲が強い
- 独りよがり
- 人間不信
- 臆病
- 不真面目
- 逃げたがり
と、パッと見ただけでもなかなかやばいやつです。
しかし、心の病と向き合わなかった頃の自分は
- 優しい
- 著しい自責思考
- 遠慮ができる
- 真面目
- 心配性
- 配慮ができる
- 思いやりがある
- 自分嫌い
- 協調性が高い
- 嘘つき
書いてて抵抗こそありましたが、このように言われていたのです。
いわゆるいい子でした。
それがガラリと性格が変わり、だいぶ生きやすくなりましたが、それで損をすることも今でもあります。
今記事を読んでくださっているあなたは、おそらく良い人だと思っています。
私も、良い人でした。しかし、続けていて正直苦しかったのが本音です。
人からは見くびられ「こいつならよさそう」と舐められ、時には嫌われないために無理をしたり、嘘をついたり、自分の気持ちを表現できないままでした。
そんな日が続いたことで、自分の意思を持たなくなり、人のいう事を鵜呑みにする事しかできなくなり、何年も経ってしまいました。
あなたはどうでしょうか?
私と同じように、傷つくことを繰り返し、自分を持てなくなってしまっていませんか?
似た辛さがあるのなら、心から共感します。
あなたではないので、わかりきることはできませんが、それでも「その気持ちわかります」と言わせてください。
「自分ってなんなんだろう、今まで何をして生きてきたんだろう?」
わかります。
ですが、せめてあなた自身だけは、あなたを否定しないであげてください。
そうしないと、あなたを傷つけるのはいつも、あなたになってしまうから。
ここまで読んでくださった方、私のおせっかいに付き合ってはもらえないでしょうか。
私のおせっかいに付き合ってくださる方、是非今後のメッセージを受け取ってください。
それでは今回はここまでです。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。