暴言なのかフィードバックなのか?この境界線を判断する方法~後編~

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    この記事は『前編・後編』の二部構成です。テーマに沿った情報を二回に分けてお届けするものになります。
この記事のエビデンスレベルはです
この数字はAI(ChatGPT)による情報源の分析結果と著者の評価を基に設定しています。元となる参考文献は記事内に掲載しています。(ショートブログ除く)

社会では、暴言とフィードバックの境目を曖昧にして、全部を受け止めて傷ついている人が本当に多くいます。
言われ続けることで自責が深まりやがて自己否定に変換され生きるモチベーションがどんどん失われていく現象さえあります。

「言ってもらえるうちが華だ!」

なんて考えで、キツすぎる言葉にすら無理やり意味を見出し、特に何の改善案も出されてないのに都合よく

「意味がなきゃ言わないはずだよな、ここで察するのがデキる社会人だ!」

なんて解釈をし、結局何の答えも見つからないか、思いついた事が的外れだったか、たまたま当たってただけのパターンを経験したことはないですか?

「いやいや、自分のためを想って言ってくださっているんだ・・!」

その見極めができずにすべてを真に受けると心が壊れます。

そんな暴言とフィードバックの境目については前編で解説しました。

ですが、暴言とフィードバックの境目がわかったところで暴言を排除できるようになったとしても

「フィードバックだったら全部受け止めなきゃいけないの?しんどい時もあるんだけどなぁ・・・」

これも自然な感情です。

疲弊しているとき・タスクに圧迫されているとき・手を抜きたいときのフィードバックは時に追い詰めになります。いわゆる余計なお世話、正論だけど鬱陶しいというやつです。

ここで注意です。

確かに、フィードバックをする側も言えば良いわけではないため一定の配慮をした方が良いのは事実です。

ですが、そんな上手なフィードバックができる方は少数です。

フィードバックが上手な人の意見しか聞かないようになってしまっては成長が止まります。これは過去の私です。

そのうえ、言っても聞いてくれない人という印象にさせてしまいます。
そしてその印象は瞬く間に周りに広がります。

そこで今回は

・精神衛生上よろしくないタイミングでフィードバックから上手に逃げる方法。
・こんなフィードバックは逃げていいの?を解説し、上手にフィードバックを得て成長できる思考

をお届けします。

①こんなフィードバックは逃げて良い。フィードバックの仮面をかぶった暴言 エビデンスレベル2

参考になる意見を受け取る中、なんだかんだで

「その一言余計じゃない?」

こんな経験はないでしょうか。

実はその反発心、めちゃくちゃ重要なサインです。
理由を結論からお伝えすると、せっかくのフィードバックがあっても

  • 人格否定
  • 抽象的な批判
  • 改善案なし
  • 皮肉
  • 思考停止の流れに持ち込む

これらを含む言葉を脳がきちんと感じ取り、違和感を覚えたからです。
いわゆる

「嫌な言い方だよなぁ」

これです。

嫌な言い方が引っかかってせっかくのフィードバックを忘れてしまいお互い色々台無しになる事もあるでしょう。

「そうそう、それそれ!でも具体的にはどんな言葉が該当するの?」

きちんと例を挙げます。

向いてないんじゃない?

皆さんが何か打ち込んでいる趣味やプライドを持ってやっている仕事があるとしましょう。

そんな時、いくら好きな事でも得意な事でもミスをする事は必ずあります。
そのミスの場面だけを切り取られ、もしくは慣れていないからこそミスの連発だけを見られ

「なんか・・致命的なミス多いね?」
「凡ミス多いからさ、ゆっくりひとつずつ潰しなよ」

ここまでならよくある範囲ですし、傷つくほどではないセーフな客観的意見です。

ですが

「落ち着きないから凡ミス繰り返してずっと成長しないんだよ。向いてないんじゃない?」
「なんかさ・・もう一押しを頑張れないかな?インパクトが無いよ。向いてないね」

ここで使われる「向いてないね」人格否定にあたります。
「センスが無いからやめちまえよ」こんな風に言い換えができてしまいます。
だから鼻について嫌な言い方に感じるんです。

「向いてないならきちんと言ってやるのもフィードバックだろ!」

ここで冒頭でお伝えした配慮です。

「向いてないね」こそ言えば良いわけではないフィードバックのワースト単語です。

破壊的フィードバック
人格への否定、あいまいな非難、改善の提案がない発言は、受け手の自己効力感を著しく下げることが研究で示されています。

Kluger, A. N., & DeNisi, A. (1996).
The effects of feedback interventions on performance: A historical review, a meta-analysis, and a preliminary feedback intervention theory (FIT). Psychological Bulletin, 119(2), 254–284.

向いてない事をちゃんと伝えたうえで相手の歩み方のアドバイスをしたいならこうです。

「どうにも自分には君の、あの部分、この部分が気になってしまってね・・。
具体的には、君がミスをしてしまうポイントが、私としては気を付けられる範囲なのに君は起こしててさ。
意識して勉強ってしてるかな?
ここを自分で調べるなりして勉強しないと改善は難しいと思うんだ。
勉強もしないってなると向いてないままなんじゃないかなぁと私は思うんだけど、君はどう思う?」

向いてないと感じた理由、そこから改善するための案、そしてあなたはどう思うかの主導権を相手に握らせる。

これは相手に考える余地を与えつつ、成長の可能性も挙げており、自分の状況を客観的に見てもらっているフィードバックです。
そして何より、相手の人格の否定をしていません。

「ちゃんとしなよ」

これは提案ゼロな具体性のない抽象的な指摘です。簡単ですね。

「あのさぁ・・・そろそろちゃんとしなよ」

自分はわかってるから相手も分かってるだろう。の思考放棄です。
これ、そのまま相互確認せずに進むと、結果のズレが生じる元でもあります。

ビジネス系Youtuberの方の発信にもありますが「数字出すためにガンバレ!」「わかりました!頑張ります!」こんなのでは何を具体的にどのようにし、どんな成果をあげるのか、あげてほしいのかお互いが想像になってしまうため、あいまいな表現に忠告をしています。
いずれズレが起きて当然です。

「ちゃんとしなよ」も同じことが長期的には起こります。

「ちゃんとって何を?」

嫌味や煽りでもなく純粋にこんな疑問が起こるなら抽象的な意見であることの現れです。

「言ってもムダだよね、どうせ」

これ言われたら考えることをやめたくなりませんか?

「ああ・・自分なんて・・」の基になると思いませんか?

ここまで来ると、受け取る側が成長の材料ではなく自尊心の破壊材料として受け止めるのは無理もありません。
こんな事を言っておいて

「え?俺は間違ったこと言ってないと思うよ?事実言われて傷ついてるだけじゃねぇの?そんなん言われても知らねぇし」

と、ほざきやがる方が一定数います。
こんな皮肉と人格否定がフュージョンされた言葉を使う時点で、間違った事を言ってるの確定です。
言葉の正しさは事実性だけで決まるものではありません。

「言ってもムダだな」ほど余計な一言はありません。
これが許されるのは基本的にフィクションだけです。

言ってもムダには、聞き分けれるほど大人じゃない・意味を理解できない・言ったところで聞かない・聞く耳を持てるほど冷静に見えないという相手を卑下した意味を含むパターンが多く、皮肉や人格否定にあたる場合がほとんどです。

「言ってもムダ」試しに口にしてみてください。

ネガティブな声掛けをしている気分がしませんでしたか?それが答えです。

ポジティブに言いたいのなら「言っても聞いてくれないかもしれないけどさ」です。
これでさえ余計な一言に感じる場合もあります。
相手の自己決定を強制させようとする言葉になるからですね。


「うーん、今の自分にはどれも該当しないなぁ。普通なフィードバックばかりだ。全部聞かなきゃだめかぁ・・・」

お待ちください。
心が圧迫している状態ならフィードバックに「ちょっと待って」は大切です。

例えば、不幸続きで気持ちが落ちている人に対し、正しくないからってフィードバックをぶつけまくる事をどう思いますか?

傷口に塩です。

②心が乱れているときは逃げるべき理由 エビデンスレベル2

基本的にはフィードバックは受け入れたほうがいいです。
何かをうまくいかせるには、他者からのフィードバックを参考自分の行動を試し続ける事が成長につながるからです。

自分で見つけたLv1のキャタピーしか出てこない草むらレベル上げをするよりは、誰かに教えてもらったLv1からLv10まで出てくるキャタピーの草むらレベル上げをするほうが成長は早いのと同じです。
他者のフィードバックを受け入れない事は、ずっとLv1のキャタピーの草むらにとどまる事と同じです。

「いや、効率落ちたら自分で考えるから他人のフィードバックなんて関係ないね!」

では、フィードバックを受ける人と我流のどっちが先に結果を出すと思いますか?

よほどの天才か実は場数を他人より踏むまくった玄人でない限り答えは明白です。
早く結果出したいですよね?

ですが、心が乱れていたり、圧迫されて疲れている場合はフィードバックは情報過多になり、さらに心を追い詰めます。

「うるさいなぁ!もう放っておいてよ!」

これ我儘でもなく、詰め込み切れないために起きた精一杯の悲鳴であり防衛だったんです。
これに対し怒って言葉をかけまくるのは暴力ですよね。

認知負荷理論
学習や課題解決の際に、学習効果を最大化するためには人間のワーキングメモリ(短期記憶)にかかる負担を考慮する事が大切です。
ワーキングメモリは個人によって異なり個人に合わないほどの負荷がかかる学習効率が下がるだけでなく、拒否反応を示すことがあります。

Sweller, J. (1988)
Cognitive Load Theory
矢沙玖
矢沙玖

私はよく、アドバイスを受けまくると拒絶したくなったり鬱陶しくなってしまう事があり、自分を短気なダメ人間と思ってました。
ですが、ワーキングメモリが優れていない事による生理的現象だったんですね。

よって、適切なフィードバックであろうと逃げないと崩壊を起こしかねません。

しかし当たり前ですが、個人のワーキングメモリを他人がパッとわかるわけがありません。

そこでフィードバックを上手に得るには、自分から伝えておく事が大切です。それを言えるなら苦労しないんですけどね。

「すみません今考え事がパンクしていて、せっかくのフィードバックなのは理解してますが整頓してからでもよろしいでしょうか?」

ありがたさを伝えつつ、自分の問題によるものであると謙遜し、後から受け取る事を伝えれば誠実に逃げる事ができます。

ちゃんと理解ができる人なら

「そうか、確かにそういう時もあるよな。わかった、整頓出来たらまた教えてよ。いつでも話すからさ」

と、理解を示し、個人差がある事もわかってくれるでしょう。

ですが

「え?他の人はうまくやってるよ?」
「いつもそういうよな・・いつになったら自分で整頓するの?こっちも暇じゃないんだよ」
「あのさ、多くの人はちゃんとアドバイス聞いてそれから整頓して他人を煩わせないようにしてるよ?聞くスタイル甘えてない?教えてもらう立場だろ?」

これは個人の否定+比較+押しつけの混ぜそば完成です。
フィードバックの仮面をかぶった暴力です。

フィードバックは、相手が向上する事を願って起こる言葉です。

そんなせっかくのフィードバックを最大限に生かすのなら、受け止められるメンタルの状態で受け取る事がフィードバックをくれる相手への礼儀です。

まとめ

フィードバックは受け止める事がおすすめですが、本当にフィードバックかどうかは文脈に隠れています。
態度を含めて判断して良いです。

傷ついたり委縮したり、やる気が奪われるようなら、成長させてくれる言葉とは言えないですよね。

そしてフィードバックも、メンタルの適正な状態で受け取らなければ逆効果で、せっかく時間を使って言葉を選んでくれている相手の気持ちを無駄にしてしまいます。

あなたの周りの方は暴言かフィードバックかどちらのタイプでしたか?
その人は今後も付き合っていくべき人か、付き合ってはいけない人間か想像できたでしょうか。
無理にフィードバックを受け取っていなかったでしょうか。
時には逃げる事も、フィードバックを生かすうえでは大切です。

それでは今回はここまでになります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

参考文献

『認知負荷の理論に基づく教育デザイン』ジョン・スウェラー

『嫌われる勇気』岸見一郎

『フィードバック入門』中原淳


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