暴言なのかフィードバックなのか?この境界線を判断する方法~前編~

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    この記事は『前編・後編』の二部構成です。テーマに沿った情報を二回に分けてお届けするものになります。
この記事のエビデンスレベルはです
この数字はAI(ChatGPT)による情報源の分析結果と著者の評価を基に設定しています。元となる参考文献は記事内に掲載しています。(ショートブログ除く)

皆さんは、ネットにおけるアンチという言葉をご存知でしょうか。私の記事を読んでくださる方の中で知らない人は多分いないでしょうね。

それだけでなく、皆さんに対して嫌味を言ったり、適切な正論といえど言い方が鼻につくような人物を、私生活で近くに抱える方がいらっしゃるかもしれません。

そんな中、真に受けて改善に努めるべきフィードバックなのか、実は感情から来ている暴力なのかを判断できる知識をお届けします。

そして後編では、精神衛生上よろしくないので正しかろうと一線引いてよいのかを判断できる考え方をお届けしていきます。

①「あの言い方ひどくない?」は要チェック! エビデンスレベル2

SNSで発信した時や、職場で報告をした時、家族からの注意などなど
「正しいこと言ってるかもしれないけど、傷つくなぁ・・」
そんな事例は後を絶ちません。

ですが、よーく観察すると『正しさなのか暴力なのか』に、科学的な定義と境界線があります。

「嫌な言われ方は排除して耳障り良い言葉だけ拾うって事だろ?そんなの成長しないよ」

これも、正論かのような言葉ですがめちゃくちゃ鼻につきますよね。

  • こういう嫌な言い方をして相手がどう思うかどうか。
  • ほんとにこの嫌な言い方で相手が成長するかどうか。
  • または相手がどう思おうが知ったこっちゃないのか。
  • そもそも嫌な言い方であるという自覚があるのかどうか。

もうわかったでしょうか。

少なくとも、フィードバックのつもりで嫌味な正論を投げ飛ばしておきながら、結末はどうでも良いというケースが大半です。それが他人です。

だったら、正論だとしても鼻につくなら無視でも問題ありません。


誤解のないように。

お皿ペロペロ炎上や、頂き女子な事件などありましたよね。

それに対し
「被害者が明らかに被害を被る事が理解できない・理性が利かない時点で、世に出てこないでほしい。迷惑です。」
といった言葉だとしたら無視すべきではなくしっかり考えるべきです。

本人の自由な発想といえど、実際に不特定多数の人に【被害】という事例が起こる事がどう考えてもありうる場合、そこから来る嫌な言葉は【彼らの防衛】です。

「その考え方、癇に障ってキモいからやめて」
というのと
「万引きはうちが困るから、お前出禁な。人生幼児からやり直してこい」
では全く違いますよね。

被害という暴力を与えたのなら、暴力が返ってくるのは当然です。

②暴言とフィードバックの科学的な見分け方3選

「暴言とフィードバックの違いなんてわからない!基本自分が間違ってるからさ・・」
「他人に言ってもらえる時点でありがたいって考える事にしてるよ。
けど・・・嫌な気持ちになってばかりなんだよね・・・」

ご安心ください。
自分が成長する方法を選ぶためにも、この正論は真っ当!と判断できる科学的根拠があります。

逆に、ご指摘全てがありがたい!という考え方は自己効力感や自己肯定感を時には傷つけ成長を止める要因にもなります。お客様も他人も神様ではありません。ただの人です。

目的が成長か、支配か

「○○した方がいいと思うよ。あなたのために言ってるんだけど」

この言葉が、本当にあなたのためなのか・自分の優位性のため・はたまた、そうしてくれると自分が都合いいからなのか。という冷静な見極めが必要です。

「まって、そんな大ざっぱじゃわからん!」

大丈夫です。実は単語やタイミングでも判断可能です。

例えば仕事で・・
「その報告さ、普通俺にしない?君の上司は俺でしょ?なんであいつにしたの?」

一見真っ当です。
ここに、自分をないがしろにされた気分で気に入らないという感情がみえるのか、直属の上司に言わないと今後生きづらくなるという適正なフィードバックに感じたのかが大切です。

「普通」とか「あいつ」という言葉もありながら、詰め寄る言い方なのがわかったでしょうか。
フィードバックならこんな言い方は不適切です。

「例が限定的だなぁ・・ほかにも、どんな単語が暴力とかフィードバックとか、わかりやすい指標ないの?」

では、もっと例を出します。

「これわかりにくい。この部分どうにか修正できない?」改善を促す具体的な指摘があります。
そのためフィードバックと言えます。
「何これ?意味不明」感情的+否定建設的でもないため、時に暴力になりえる
「君ならいけるはずだけどなぁ、それじゃダメだね」一見すると応援っぽくても、圧力や勝手な期待との比較で自己効力感を下げる可能性

そして、言われた人がどうすればいいのか考える余地を生ませるのもフィードバックとして大切です。

具体的な改善案があるか、ないか

まず、フィードバックと暴言の定義を紹介します。

フィードバック
行動に着目し、改善に繋がる情報が含まれ
もの。

暴言
「性格」や「人格」に焦点を当てられており、改善の余地がない。

フィードバックと攻撃的対話の違いは、アクションそのものに言われているのかアイデンティティへの攻撃かにあると明記されています。

Stone, D., Patton, B., & Heen, S. (1999).
Difficult Conversations

ただし、いくらフィードバックといえど言いまくると心理的圧迫につながってしまうという配慮も当然必要です。

真っ当だし必要だから言いまくればいいというわけではありません。

つまりフィードバックとは、相手の改善を望む視点からくる発言のため、相手が次のアクションに移せるような発言でないと適切ではない事を表しています。

こちらも、例に表すとこうなります。

「ここの部分がおかしいから、こうすればこのように変わると思うけどどう?」アクションそのものに目を向けていて改善について語っている
「やっぱ君、向いてないよ」人格否定にあたるため、暴力。
「この前言ったよね?」「何回言わせるんだ?」と同義で、怒りの感情に感じる事もあり、少なくともフィードバックではない。
「「同じことを言わせるな」って結構真っ当じゃない?言う側もだるいし、学べよ察しろよの意味も込めたフィードバックじゃね?」

同じことを言わせるべきではない事をフィードバックするならこうです。

「それこの前も言ってるな。覚えれないならメモするか覚えてられるようにタスク整頓したほうがいいよ。今どんなやり方してる?」

これぐらい丁寧が望ましいかもしれません。
少なくとも、相手に変わってほしいのなら楽なコミュニケーションでは伝わりません。
「そこまでしてやる義理ないだろ。これで学べ、自分で考えろ」の察してちゃんは煙たがられますし煙たがってOKです。

沈黙や屈服を強制する圧力があるか

もうひとつ、フィードバックと暴力の違いには

フィードバックは

考えさせる力を持つのか押し黙らせる方向に運ぶのかというものもあります。

当然ですが、押し黙らせるのが暴力です。

つまり、相手を委縮させる・無言にさせる・行動を止める発言は暴力的コミュニケーションの兆候と言えます。


非暴力的コミュニケーション
とは「相手を動かすのではなく、相手と繋がること」である

Rosenberg, M. (2003).
Nonviolent Communication

こちらも例を出すとこうなります。

「その考え、視点は面白い。ただこういう課題があるかも」相手の立場を認めた上で指摘。
委縮せず聞く耳を持たせる工夫があるため沈黙も屈服もさせない配慮がある。
「は?前と言ってる事同じじゃね?何も変わってねぇな」人格否定に加え、言葉も乱雑なため相手を委縮させつつ正しさで屈服させようとしている。
しかもこれを人前でやれば、恥をかかせる要因となり配慮不足。
「君っていつもそうだよね」ただの人格攻撃。改善案もなし。

まとめ

暴言とフィードバックの違いや、フィードバックならこうなる。暴力ならこうなる。といった状況別の見方や考え方をお伝えしました。

相手を人として見ており、改善案もあり、どんなアクションを取るか考える余地を与えられる発言がフィードバックです。

ただしそのフィードバックも、正しいから言いまくればいい、詰め込みまくればいいわけでもありません。

そして、暴力的な言葉だとしても加害者となっていた場合は受け止めなければいけない場面もあるでしょう。

  • ①フィードバックだろうと暴力だろうと逃げていい状況
  • ②フィードバック乱用の正論マンとは
  • ③逃げていいフィードバック

の3つの要点をお届けし、正しさ攻撃から身を守り息苦しさを緩和する記事を目指します。

それでは今回はここまでになります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

参考文献

『伝え方が9割』 佐々木圭一

『非暴力コミュニケーション』マーシャル・B・ローゼンバーグ

『影響力の武器』ロバート・チャルディーニ

『フィードバック入門』 岩下英知

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