辛さが人にわかってもらえない・・。自己否定をせず、あなた自身はあなたを理解してあげてください。前編

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矢沙玖
矢沙玖

このブログは3日に1記事投稿でお届けします。

※著者は資格者ではありませんので、お読みいただいて効果を保証するものではございません。

こんにちは、矢沙玖です。

今回は、誰にも辛さをわかってもらえない事のしんどさがテーマです。

早速ですが質問です。

人はどんな時に、身体的な疲れを抱えるでしょうか?

  • マラソン
  • 徒歩
  • 物を運ぶ
  • 同じ体勢を続ける
  • 仕事をする

など、基本的には体を動かすと、体って疲れますよね。

では

心ってどんな時に疲れますか?

  • 人混みに行った時でしょうか。
  • 人と会った時でしょうか。
  • 何かにおわれている時でしょうか。

おそらく、私が挙げなくてもたくさん想像すると思います。

対人であったり、何かしら人から求められている状況に応えなきゃいけない時ですよね。

とにかく90%以上は、人が関わっているから心が疲れるというのが私の見解です。

そんな心の疲れを「甘え」とか「根性がない」だとか言われたことはありませんか?

それに対しイラっとした経験がある方、正常です。大切にしてください。

そうではなく「その通りかも・・」と受け入れた、または受け入れそうな場合は注意が必要です。

甘えではなくサイン

まず大前提として、心の疲れは単なる「甘え」ではなく、体と心のバランスが崩れているサインです。

ふと、自分が何かに対して楽をしようとしたとき、こうよぎった事はありませんか?

「これって甘えかな?」

このように感じたら、今日からこのように繋げて考えるようにしてください。

「もしかして疲れているのかな?」

自分をいたわり、何かのサインを出しているのでは?と気遣ってあげてほしいんです。

確かに

誰かにあれやってほしい」「こうあってほしい」「これはしたくない」「嫌だ」
何もしない」「できない」「なんにもしたくないんだ!」

というのは、一見我儘に見えて他者に甘えていると感じる事もあるでしょう。

しかしこの感情は、あなた自身が何かを求めていない限りは生じない感情です。

私の体験談

過去の私の例を挙げます。私がまだ接客業で働いていたころの話です。

それなりに評価される接客はでき、お客さんから多少の評判を得られるよう、下に出ては疲れ、神経をすり減らしながら、それでもやってきました。

しかし、一部の高圧的な常連が来るとものすごく億劫でした。

最低限の相手しかしたくないお客です。っていうか客とは思えない。

そんな時です。

「〇〇さん、なんでそんなところにいるの?」

そうです、その人を避けているのが他のスタッフ、いわゆる仲間にばれたんです。

軽く事情を話したところ、その仲間は平気なようなので対応を代わってくれました。

それ以来、そのお客が来るたびに「あの人・・代わってくれないかなぁ」と思うようになってしまいました。

さて、これは甘えでしょうか?

世の中的にはこんな風潮がありますよね。

・仕事としてやるんだからお客様のえり好みなんかすべきではない

・我慢して対応する事が接客業

・お金をもらってるんだから仕事として割り切るべき

・接客の仕方を変えてみるなどの工夫を模索すべき

・気にしない方法を自分で見つけ出してみるべき

接客業の経験がある方ならわかることでしょう。

経験がない方、実際の接客業はこのように考えられて働かれているんだと知ってくだされば幸いです。

もちろん中には、ひどい接客をするスタッフさんもいます。

これらの風潮を総合して考えると、私の考え方が「甘え」と解釈される事でしょう。

では、私のこんな背景をお伝えするとどうでしょうか。

仲間が助けてくれる前までは、そのお客の対応をするしかありませんでした。

そのたび、嫌な思いをしながら、怖い思いをしながら応対をしていました。

本当に何か嫌な態度を取られれば一日中もやもやしたり、悲しかったり、むかついたり。

ここからがポイントで、私の場合は対人で理不尽に嫌な思いをさせられると、ひどい時は一週間もひきずってしまい、食欲や寝つきの悪さに影響してしまうんです。

さて、こういった背景を知ると、あのお客の相手をすることに賛否両論がありそうです。

「接客業向いてないよ」
「次他に嫌なお客来たらどうするの?」
「仲間が不在の時はあなたが対応するしかないんじゃないの?」

このような言葉も聞こえてきそうですが、あなたがもし、私と同じような状況になり、上記のような言葉がかけられたらこう思ってください

「この人は私の味方ではない」

あなたの特性を知らず、考慮もなしに、一般論をぶつけてくる人を味方と認識するのは危険です。

あなたの中で、あなたに合わない助言をしてくる人はバッサリと切っても問題ありません。

こういった助言は無視をしても大丈夫です。

なぜなら、私はこのような助言にさえも耳を傾けては改善を試みた結果、心がどんどん壊れた経験があるからです。

そして、今ではこう思います。

私があの時「〇〇さん、代わってくれないかなぁ」と思っていたのは、甘えではなく助けを求めていた。

心がそれ以上傷つかない方法を望んでいたわけです。

つまり、心が壊れる方向へ向かっているぞというサインを出していたとわかります。

賛否両論あることは百も承知ですが、この話、あなたはどのように思われたでしょうか。

これで体験談を終わります。

さて、ここまでの話がなぜ、甘えではなくサインなのか?という疑問を科学的根拠に基づいて調べてみると、ストレス理論を用いれば正しい説明ができます

ストレス理論

ハンス・セリエが定義するストレスとは「外部の要求に対して、身体や心が適応しようとする反応」です。
この反応が過度になると、心にも身体にも負荷がかかってしまう事も示唆されています。
だから、心が疲れたと感じた時、それは心が出している「助けて」というサインだと考えることができるんです。
こうなると、ただの「甘え」ではなく、心身がこれ以上の負荷に耐えられないことを意味するわけです。

Selye, H. (1956). The Stress of Life. McGraw-Hill.

話を戻しますね。

冒頭では、体が疲れる時と、心が疲れる時をイメージしてもらったと思います。

次に、その内容を誰かに相談した時ってどんな返事が来ると思いますか?

あなたが気を許せる人に話した場合は、どちらにも共感してくれそうじゃないですか?

しかし、気を許せるまでには至らない人へ明かした場合心の疲れに関しては肯定されず、どちらかというと理解されない様子を想像したのではないでしょうか。

どちらにも共感してくれないような共感力のない人は今回例外です。

人へのアピールは余計に疲れる

私は実際、過去に何度も、疲れてる素振りをして間接的にアピールしたりする時期もありました。

あまりアピールが実った事はなく、実ったとしてもモヤモヤしていました。

なによりアピールする事で余計に疲れました。

自分が惨めに思えましたし、何より自分が駄目に思えてしまったので辞めました。

同じように行動した経験がある方、いませんか?自己否定に陥りそうですね。

大丈夫です、今ならわかります。

本当に疲れているというサインだからこそ、アピールをしてしまっただけなんです。

そんな時期があった事を否定する必要はありません。

誰に何を言われても、自身が感じる辛さを信じていいんです。

仮に疲れはなくとも、面倒だからそういう素振りをしたとしても、それは自分がやりたくないから体は疲れてないけど心はしんどいというサインだと解釈できるんです。

心の病気があるように、心の疲れも存在します。

やりたくない事をすると、心って疲れるんです。

あなたに忍耐がないんじゃないんです、本当にやりたくないからしんどいだけなんです。

心の疲れは「社会的ストレス理論」によって説明されており、特に人間関係で起こる事が非常に多いんです。

このストレスが積み重なって心にサインが出るので、決して「甘え」で無視しないでください。

今の不調を甘えとして放置できるほど、この先の長い人生甘くありません。

他人ではなく自分がサインに気付いてあげる

大切なのは、自分が出しているサインにしっかり目を向けきる事です。

あなたの事をわかってくれる人、います、一番身近に。

それがあなた自身です。一番近くにいます。あなたのサインを肯定できる存在です。

ですのでどうか、他人のみならず、あなた自身もあなたを無視してしまっている事に気付いてください。

自己否定はあなた自身を無視する行為です。心はきちんと、状況を分析できています。

後は頭を使って言語化し、状況をあなたがわかるように引っ張り上げる事が正しいケアです。

他人にアピールしたところで、大半が無駄に終わってしまいます。

特に仕事面においては基本的には理解されません。

対人の悩みでも、知識がある人を相談相手に選ばなかった場合「ただの神経質だよ、考えすぎだよ」と、なぜか否定される事さえあります。

最悪の場合は、甘い人だなという認識さえ植え付ける事になります。

この理由は共感ギャップという観点で説明できてしまいます。

共感ギャップ

痛みや不快感などの強い感情を体験していない人は、その感情の深刻さを過小評価する傾向があります。
これにより、神経質な状態や心の痛みが他者には伝わらず、理解を得られないことがどうしてもあります。
つまり、その相手が、他人の感情や経験に対する理解が欠如している現象をさします。

(Loewenstein, 1996)

要するに、自分が経験していない感情や苦しみを理解するのは難しく、人は他人の困難を、どうしても軽視しがちにり、苦しんでいる人の感情や状況を「甘え」「大げさ」として捉えられることがある。ということです。

しかも、そんな状況をその相手が正当化できてしまう心理も存在します。

だからなおの事、辛さを理解されない風潮になっているんです。

だからこそ、他人にアピールをするよりも、少しでも多く自身にアピールして、今の生き方が嫌だときちんと認識してあげる事が大切です。

セルフ・コンパッションの観点から見ても、あなたのサインに気が付き、あなた自身を理解する事が正しいアプローチであることがわかっています。

ここまで読んでいただいて腑に落ちている方は、今日から少しずつ、自分のサインに気付いてあげる事を頭の隅にいれてみてください。

まとめ

さて、私の記事を読んでくださっていてどうだったでしょうか?

「なんか説教臭くていやだなぁ・・・」
「こんなような記事、どこにでも転がってて使いまわし感があって読むの疲れるな・・・」

と、心がそうサインを出しているなら、心に従ってください。

この記事を「嫌だなぁ・・」と思うのもきちんとしたサインです。

心が出しているサインを、頭が勝手に「でも読み切ると変わるかもしれない」

「言ってる事は有益だから続けよう」と、心とは反対の行動をとってしまうと、心のサインを押さえつける事になってしまいます。そりゃ疲れます。

すると、やりたくない事をやっているからしんどくて、つらくて、疲れて「もう嫌だよ」となってしまうんです。

やりたくも無いことをやってると心が疲弊するんです。

かといって、心に従って他人に迷惑をかけたり攻撃をすることは話が変わってきます。

私のブログを読んでくださる方の場合は、そんな事は無いと思っています。

むしろ、心に従って迷惑をかけられたり攻撃をされた側なのではないでしょうか。

ここまで読んでいただいて、あなたがなぜ苦しいのか、誰からもわかってもらえないのかを理解する手助けになっていれば幸いです。

後編では、心が疲れる具体的な事柄とその根拠。

最後には、なぜあなたばかりが耐えられないと感じてしまうのか?をお届けします。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

今回とりあげた科学的根拠

ストレス理論

Selye, H. (1956). The Stress of Life. McGraw-Hill.

共感ギャップ

Loewenstein, 1996

セルフ・コンパッション

Neff, K. D. (2011). Self-Compassion: The Proven Power of Being Kind to Yourself. HarperCollins.

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