都会が苦しい人と平気な人の決定的な違いとは?~感じ方の個人差に迫る~前編

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    この記事は『前編・後編』の二部構成です。テーマに沿った情報を二回に分けてお届けするものになります。
この記事のエビデンスレベルはです
この数字はAI(ChatGPT)による情報源の分析結果と著者の評価を基に設定しています。元となる参考文献は記事内に掲載しています。(ショートブログ除く)

季節はすっかり夏のような暑さを感じる時もありますが、5月です。

さて、そんな5月の今、都会での暮らしを考えている・・というよりかは、移住が終わった人が大半でしょう。
もしくは、引越しの繁忙期を避けて都会へ行こうと思っている人もいるかもしれません。

都会の暮らしが自分に合うか気になる方、実際に都会で暮らしている方、気分はいかがでしょう。
適していなくて困っている方もいるかもしれません。

都会が合わなくて悩む背景には、都会ストレスという物が存在しますという記事を残しました。

その反面で「別に都会ストレスなんて感じないけど・・」という人が存在するのも事実です。
事実だからこそ、ものすごい人口なのでしょう。

では、都会ストレスという科学的根拠は間違いなのでしょうか?

決してそんなことはありません。

皆さんは都会が平気か苦手か。どちらでしょうか。

人生のステージで変化する エビデンスレベル3

さて、結論からお伝えすると都会での暮らしに対する感じ方は自分の人生がどの位置にいるかによって変わってきます。

「人生のステージ?曖昧な事言わずに詳しく!」

こういう事です。

都会で暮らす前

都会=人が多くて疲れるという印象や、空気の悪さ、騒音などのデメリットを元から感じており、都会に異動となった時、案の定人混みのストレスに晒される毎日だった。

都会で暮らしてみて

想定していたストレスが的中こそしたものの、利便性に救われる経験が増える事で『今の自分には都会の方が向いている』と、許容できるようになる代わりに利便性を大きく実感し始めた

このように現在の自分というものは時が経つにつれ変化します。
そんな自分が今、都会に向いているか向いていないのかも変化するという事です。

同じ出来事や環境でも『その意味づけ』が変わると感じ方が変わるとされています。

「選択のパラドクス」/認知行動療法の「再評価」
バリー・シュワルツ

よって、都会ストレスに対し適応不可、もしくは適応する気が失せる気持ちが勝つぐらい都会のメリットを感じていなければ都会は不向きでしょう。

反対に、都会で暮らすことに明確な意味づけがあれば

不快納得・許容可能変化するでしょう。

「いやいや、どや顔で科学的根拠出したかもしれないけど?都会だからストレスを抱えるっていう面は当てはまっていないし普通に暮らせてるんだけど?」
「おっと、繊細じゃないから都会が平気っていうのも通用しないぞ?繊細だけど都会ストレスが当てはまってない例もあるんじゃないか?」

確かに人間一人一人の性格は本当に違います。
このような声が正しい場合もあるでしょう。
それでも、都会ストレスという存在は間違っていません。

これは、都会ストレスが平気な方を鈍感と言いたいのではなく、都会のストレスを感じるよりも都会のメリットの方を無自覚に大きく感じているため、気にならないといった方向で説明がつきます。

矢沙玖
矢沙玖

私の場合は、稼ぎに行くことが主な理由で都会暮らしを経験してみましたが、その動機だけでは都会でのデメリットを打ち消せませんでした。

同時に、音や光、特に人混みが大の苦手だったのが案の定裏目に出て適応する前にふさぎ込みました。

今思えば「なんで移住を考えたんだろう?」と疑問がわくところではありますが「稼いでみたい!」に捉われ、トンネリング効果が発生してしまったんですね。

ストレス自体は受けている エビデンスレベル2

実は、都会での生活がストレスにならない人の多くは都会のストレスを感じないのではなく都会で得られるメリットの方が大きく感じられているために、ストレス要因が相対的に気にならない状態になっている可能性が言われているんです。

脳が何を優先課題として認識しているかによって変わってくるため、単なる性格の違いとして説明できるわけではありません。

心理学の研究でも、人は自分の求めているもの(=価値観や目標)が明確なとき、その目標達成に必要な環境にある嫌なこと意識の下で軽視できるという傾向があることがわかっています。

マズローの欲求階層説/行動経済学における主観的価値の理論 等

例えば

・夢を叶えるために都会に来た
・より良い教育や仕事を得たいと思っている
・文化的な刺激に魅力を感じている
・遠距離恋愛の恋人の近くに越してきた
・家族に仕送りのために収入目的で頑張っている

このように明確な理由がある人にとっては、騒音や人混みといったストレス要因よりもここにいることで得られるものがずっと大きく感じられるのです。

要するに、刺激が多くてもここじゃないとできないことがある。を感じており、その価値が大きいと、騒音や人混みさえも背景のBGMとして解釈できるんです。

つまり、目的がストレスを受け流せるようにしてくれているんです。

「じゃあ都会ストレスにやられる人は、目的が決まってるフリしてノリで生きてるから失敗してる感じ?」
「中途半端な覚悟で都会にいるからそういう目に合うんじゃね(笑)」

かといってこんな暴論は認めません。
科学から見てもそのような暴論は不正解です。

その理由を説明しますが、もう少し都会ストレスを受け流せる例を紹介します。

人間は慣れる力を持っている

さて、当初は都会ストレスを感じたとしても適応する事も可能とされています。

これは、心理学における馴化(じゅんか)という現象で説明できます。

順化とは

同じ刺激に繰り返しさらされると、その感覚は次第に鈍化していく事を意味します。

平たく言えば刺激になれる事を意味し、いわゆる慣れと呼ばれるものです。
やがては、同じ刺激を受け続けていくうちに、ストレスなどの反応がだんだん見られなくなっていきます。

これは、生物が適応して生き残るために備わっている能力と考えられていますよ。

例えば、最初はうるさくて寝られなかった人が、1年後には気にせず眠れるようになるなども順化で説明でき、起こりうる話です。

さて、ここで先ほどの明確な目標があるかどうかも関係してきます。

ある刺激と書きましたが、目標がない・目標とは関連がない状況下など、意味が感じられない環境では、馴化が起きづらく、ストレスだけが蓄積します。

都会が平気な体質

都会に適応できる体質というものが実はあります。

例えば、後の文章でも出てきますが感覚過敏を持っていない場合は刺激に対しても過剰に反応せず、フィルターのように無意識にスルーできてしまいます。

「感覚過敏?何をスルーしてるの?」

音・光・匂いです。

実はこの音や光、匂いなどの刺激に対する脳の偏桃体が処理してくれています。
しかし、HSPの傾向がある場合では偏桃体が刺激を処理するという活動が強いため、日常の刺激を強く感じ取ってしまう事が分かっています。

そのため、騒音や人混みに疲れるかどうかは心の弱さではなく、脳の感じ方の違いなんです。

また、バンデューラの自己効力感の理論を用いると、自分でどうにでもできると信じている自己効力感が高い状態はストレス耐性が高く、適応が可能だとも考えられます。

他にも、外向的な場合では対人関係が多い環境に適応しやすく、むしろ楽しさや刺激として受け取ることがあり、内向的な人の場合では、日々の人との接触で疲れやすくなる事もビッグファイブ性格理論から説明がつきます。

もちろんそもそものところ、生まれ育った環境が都会な場合も「それが日常なんだ」としみついているため都会自体を不快だと感じにくいんです。

「なるほど、じゃあ全部当てはまってる人は都会ストレスとは無縁って事だね」

実はこれは勘違いです。

都会に問題なく馴染める事と都会ストレスの存在は別々で起こります。

後編ではその内容に触れていきます。

まとめ

都会のストレスにやられることなく問題なしで生活ができている人もいるのが事実で、そういった人々の背景には

  • 不便だと思ってない
  • 煩わしいと思ってない
  • 目的がある
  • デメリットと感じないほどに暮らしにメリットを感じている
  • 脳の構造上平気である

と、説明しました。
しかしお気づきでしょうか。

ストレスが無いとは一言も書いていません。

後編では都会ストレスは誰にでも起きている事を説明します。

それでは今回はここまでになります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

参考文献

『選択のパラドクス』バリー・シュワルツ

『「他人と比べずに生きる」ために知っておきたいこと』中野信子

『スタンフォードのストレスを力に変える教科書』ケリー・マクゴニガル

『感じる脳 脳科学が解き明かす「感情」のしくみ』アントニオ・ダマシオ

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