前編はこちら
前編では、他人のSNSを不快に思う事を自責に思う必要はなく、自然である解説をしました。
同時に、そういった投稿をしている人々の根本の紹介もしました。
ただ、全てがそれに当てはまるわけではないので注意してください。
何億の人間がいてその数だけ思考パターンがありますから、いくら科学的根拠がいくつもあるとはいえ、少ない知識で納得しきって縛られるのは落とし穴です。
科学は、答えを一つに絞るものではありません。
今回は、SNSに対し、向き合うでも工夫するでもなく、離れろと言われる理由を深く解説し、科学的根拠に縛られない正しい解釈の仕方をお伝えして記事をしめます。
なぜSNSから離れろと言われるのか エビデンスレベル4
物凄くおおざっぱに結論からお伝えすると
何憶何千万という考え方が一つのネットワークに集中しており、いくらフォロー・フォロワーという仕組みを使って絞ったとしても、あなたと違う考え方の数々が無数に訪れます。
それに対して都度反応するのはメンタルをすり減らす行為でもあり、時間も消費し、最悪の場合はお金すら使うことに繋がるので、自分の幸せに結びつく明確な目標がないのなら辞めた方がいいからです。
Twenge, J. M., et al. (2018)
SNSの長時間使用が、不安やうつ症状の増加と関連していることを発見しました。
特に、10代の若者において睡眠不足や自己肯定感の低下が見られました。
「Associations Between Screen Time and Lower Psychological Well-Being Among Children and Adolescents」例えばSNSから私のブログに来てくださった方、本当にありがとうございます。
私のブログを読むことが幸せであったり、学びであると感じてくださるのなら、SNSによって私からの更新通知を受け取る事は人生において意味があるということになるので、この場合はSNSを効果的に扱っている例になります。
この文章でもう他に書くことが無くなった気もしますが、補足をしっかりつけていきます。
キモイと感じるかどうかは人によって当たり前 エビデンスレベル3
例えば、他人の投稿が自己中心的や過度に自慢っぽく映ることもありますが、ここで大切なのは、そもそも他人の視点や価値観が自分のものとは異なって当たり前だという事です。
あなたが「きもい」と感じるものでも、投稿した本人にとっては自己表現の一環であり、何か重要な意味を持っている可能性もあります。

私のブログを誰かが「きもい」と思っても、私にとっては物凄く意味のある活動です。
私のアイコンを「いい歳したおっさんが鳥の寝顔をアイコンとかきもい」と言っている人がいるとしましょう。
しかし実はこのアイコンも、心の傷を受けた方々には特に、これぐらい気持ちよさそうに尊い表情で休息を取れるようになってほしいという意味もあってこのアイコンにしているんです。既に否定的な感情を抱いている人には、このような説明に意味はありません。
このように、投稿者にとっては自己表現の一環であり、重要な意味があるのは事実です。
SNSは、基本的に各自が自分の世界観を自由に表現する場所でもあり、ルールです。
と、ここまでが発信者側の権利の話です。
これを、発信者の数だけ理解するべきというのは暴論です。
だからこそ、気に入らない投稿があればミュートやブロックが推奨されており、とある他者の投稿を「きもい」と思う事が自然だからこそ、ミュートやブロックの機能が用意されているんです。
人によって「キモい」と感じるポイントと、本人にとっては「届けたい投稿なんだ!」と思うポイントがぶつかることは自然です。

ただ私の場合は、そういうのを都度判断してミュートやブロックをしていくのがめんどくさいからSNSをやめました。
「この人の投稿いいなぁ!!・・・あれ、こういう事も発言するのか・・ああ、そうだよな、うん。」
「この人フォローしたから毎回この人の変な投稿が・・・ミュートミュート」
といった感情に何度もなるのが疲れてしまうんです。
「自分の器が狭いのかなぁ・・」だとか、変な自己否定の元にもなりますからね。
この経験から「SNSから離れろ」という発言は一定数において正しいと考えています。
何より、本人の意思をどう表現するかも、本人の心理によっていくらでも改変が可能です。
Ross, C., et al. (2009)
SNSでは自己呈示(自分をよく見せようとする行動)が顕著になりやすい事が研究でわかっています。
特にナルシシズムの高い人ほどSNSで自己アピールをする傾向があると示されました。
「Personality and motivations associated with Facebook use」
また「キモい」とは異なりますが、他者の発信に対し嫌悪感を抱く理由も挙がっています。
Przybylski, A. K., et al. (2013)
他人の投稿を見ると「自分だけが取り残されている」と感じる「FoMO(Fear of Missing Out)」が生じる事がわかりました。
結果的に、投稿が自己中心的に見えたり、比較によるストレスが生じやすいと示唆されています。
「Fear of Missing Out: A Predictor of Negative Social Media Effects」
だからこそ研究者たちも長時間のSNS使用を避ける事を推奨しています。
SNSの過剰な使用は幸福感を低下させる事がデータで示されました。
Kross, E., et al. (2013)
特にネガティブな投稿や比較が、心理的ストレスを増加させる原因になるとしています。
「Facebook Use Predicts Declines in Subjective Well-Being in Young Adults」
Zhong, B., et al. (2021)
ネガティブな情報や対人ストレスから心理的距離を取ることで、メンタルの安定度が向上することが示唆されました。
ミュートやブロックはこの心理的距離を保つ手段として有効ともわかっています。
「Social Media and Mental Health: The Role of Psychological Distance」
必ずしも科学的根拠に沿った投稿になっているわけではない エビデンスレベル5
少なくとも私の記事では、科学的に見て、SNSを不快に感じるメカニズムや、本人たちの投稿の意図を想像という形で述べています。
もちろん、必ずしもその通りとは限りません。
全く意図が読めない範囲に対し、科学的観点を持ち出して、もしかするとこうなのかもしれません。
という仮説にすぎないんです。ただ、科学的観点で述べている以上は精度がそれなりにはあるというだけです。

特にこの分野においては学ぶのも楽しくてやってます。芸能とか手芸、テレビ、バラエティやDIYなどの話になるとポンコツです。
学んでいる自分の優位性だったり、誰かを助けようとしている自分かっこいいだろう?というアピールのためにやっているわけでは全くありません。
よって、前編でお伝えしたような科学的根拠に当てはまる意図でこの執筆をしているわけではありません。
かといって、執筆以外の話や過去、自分の発信などにおいて、この科学的根拠が当てはまっていないかと言われると当たっている面も多いです。
皆さんもそうではないでしょうか。
科学の正しい扱われ方としては、一定の科学的観点を集めて、その通りに行動をするのではなく、あくまでも自分が納得する材料としておき、深く考えずに手放し「そういえば・・」と思うポイントで科学を信じて用いてみることが賢明だと考えています。
縁があれば、しっかり納得できる機会が訪れる事でしょう。
なので私も、今回のSNSの話については科学的観点を述べたうえで、それを確定事項としてお伝えするのではなく、このような考え方もあるので、そう考えれば気持ちも楽になりませんか?という緩和方法として用いているわけです。
睡眠不足による脳へのダメージや、鬱になってしまう習慣といった、明確な答えが科学的に出ている場合は、確定事項は強くお届けしています。
他方で見た時に断定できない場合は、科学的なひとつの考え方としてお届けするような意識をしています。
他の解釈があるにも関わらず、答えを絞る発信をしている事もあるかもしれません。
もちろんそれがないようには学びを深めています。
まとめ
SNSでそもそも悩んでいるのなら、いっそのこと手放してしまうのが効果的という話でした。
案外無くなっても困りません。
いきなり手放すのはもちろん難しいので、フォローの整理、SNSをする時間の設定、SNSを何のためにやっているか考え直すなど、扱い方を考え直すのもいいかもしれません。
思考停止でインストールしていた場合はなおさら効果があるかもしれませんよ。
さて、今回はSNSという世界の中で、他者の気味の悪い言動を取り上げてその意図を科学的に推定してみましたが、もちろんSNS以外でも説明がつきます。
他人の言動をいちいち不快に思ってしまうあなた。
決してあなたに問題があるわけではありません。
それでは今回はここまでになります。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
参考文献
『ソーシャルメディア心理学』アダム・オルター
『メンタルモデルの世界』ピーター・センゲ
『承認欲求の精神分析』河合隼雄
『現代の自己愛と他者の役割』小此木啓吾