頑張る人達が妬ましく、時には視界に入る事を鬱陶しく思いませんか?思ってもいいです~後編~

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矢沙玖
矢沙玖

このブログは3日に1記事投稿でお届けします。

※著者は資格者ではありませんので、お読みいただいて効果を保証するものではございません。

こんにちは、矢沙玖です。

前編の内容、覚えていらっしゃいますか?

他人の成功や発信をみると、なぜかもやもやする不快になる。

それはあなたの防衛本能であり、何かしらのサインを心があなたに送っているんだという話をしましたね。

「自分てひどいやつだ・・・」もう、このように思うのは今日でおしまいにしましょう。

事実の大きさ

前回からお話ししている続きになりますが、他人の成功や努力を見ることは、自分の現状との大きな差を突きつけられる経験にあたります。

心の傷に苦しんでいる状態だと、特にその感情を加速させてしまうんです。

自分ができていない事を、他人が成し遂げて見せつけられると、それが事実として重くのしかかり、自分の無力さ劣等感強く感じることがあります。

さらに、その現実を事実として受け入れがたいから、嫌悪感や反感として表れることがあり、時には攻撃性を表してしまいます。

ところがその事実を受け入れてしまったら・・・

「自分はダメなやつ、社会から孤立してしまっている、不適合、群れから適していない存在なんだ」自己否定してしまい、それはやがて、私は存在してはいけないのだ、と飛躍してしまう事に繋がるんです。

自身の存続を守ろうと必死な中、事実を突きつけられる事がいかにダメージであるかわかりますよね。

だから事実を受け入れないように、防衛本能が働くんです。

他者の成功を見て自分の不十分さを感じると、社会的な評価の低下や、集団からの排除の恐れを連想させてしまうから、攻撃的な反応を引き起こすこともあるんです。

競争的な環境で自分を守るための本能的な反応とも言えます。

これらの要因から、私が勝手に考え出した言葉なのですが

他人の成功はあなたへの暴力
他人の努力もあなたへの暴力

という言葉が浮かんでしまいました。

とても悲しいと思いませんか?

発信者たちはそういう意図で行動してると思いますか?違いますよね。

だから嫌悪のままに攻撃をするとトラブルに発展したりするわけです。

誰が悪いなんてありません。

ただ問題があるとすればここです。

他人軸で生きてしまっている

社会的に「こうでなければならない」「成功しているべきだ」という期待やプレッシャーが強い世の中だと思いませんか?

そして、その期待に応えられない自分自身って必ずいると思います。

そんな中、他人の成功という事実を見ると、できていない自分を再認識させられます。

この再認識が自己評価をさらに低くしてしまい、結果として嫌悪感を引き起こしたり、自己否定したり、落ち込んだり、時には誰かを攻撃してしまうことがあります。

「もしかして他人軸が問題なのでは?」

そうです、他人軸という、誰かからの評価基準で生きてしまっているから、あなた自身が無意識のうちに、あなた自身に優劣をつけてしまうんです。

優劣をつけてしまうから、他人と自分にも優劣をつけてしまうんです。

そもそも優劣なんてなく、あえてあの人と自分を比べ、自分自身に劣りをつけてしまうから、自己否定に繋がってしまうんです。

他人軸という生き方があなたを苦しめているんです。

他人軸なんていつ作ってしまったのか?

それはあなたが幼い頃から通っていたあそこです。

学校です。

私はこう思います、何の記述もなく根拠もない持論です。

小さい頃から学校教育で

「こうあるべき、これが正しい」

「テストの点数など目に見える成果をあげた人が素晴らしい、そうでない人は頑張っていない、頑張らせるべき、劣っている」

という価値観が学校から植え付けられて大人になってしまいました。 

これは自分軸ではなく他人軸で生きる考え方にあたると考えます。

そのような生き方が幼い頃に形成されてしまったからこそ、今大人になって、成功していたり頑張っている発信者と自分を比べてしまいやすい状態に既になっていると考えます。 

その結果、決してそうではないのに、自分が頑張っていないように感じてしまったり成果を上げていないように感じたり努力が足りないように感じたり怠けているように感じてしまうのではと思っています。

この、常に他人軸な思考のせいで、自己否定を加速したり、自分が排除されるのではないかという危機感を募らせていると考えます。

いかがでしょうか。

私の主張に納得ができた方は、こう思ったのではないでしょうか。

「あれ、別に自分って悪くないんじゃ?」

はい、悪くないんです。

「そういえば学校で比べられまくる環境にいた気がする」

そうです、成績表とか、ましてや順位を張り付けるとか意味わかりません。

順位付けが優劣を加速させる

「1位?すごいすごい!!」

「2位?すごい!」

「3位?すげぇ!」

「4位?おー、すごい!」

・・・

「10位?おお、載ったじゃん、すごいね」

なんでリアクション薄くなるんでしょうね?

オリンピックやスポーツ選手など、順位が絶対な業界へ行くならわかります。

しかし、そうでもない場所でなぜ順位をつける必要があるのでしょうか。

1位がとても偉く、10位は1位よりは偉くない。偉いけど1位と比べれば偉くない。

とでも言いたげですよね。

1位も10位も偉いと言うのならそもそも順位なんてつけるなよ。

そう思います。

そもそも、個人にはその人の良さがあり、不得意な事もあります。

にもかかわらず、不得意な事、興味持てない事をやらされまくって、それに対して評価がされ、誰かと比較なんてされたらまっすぐ育ちません。

国数英理社、体育、美術、技術、音楽、書道、道徳、情報あと忘れました。

これだけでは個人の良さは発揮できず、お笑いのセンス、漫画のセンス、小説のセンス、片付けのセンス、などなど、学校の教科にはなく眠らされるままの能力だってあります。

不得意で興味もない事だけを伸ばす環境なら、そもそも教育機関としてどうなの?って思いませんか?

あなたが大きくなってから、学校では発揮できなかった良さを掘り起こすため、改めてお金と時間を払って専門を学びにいかなければならないような構造に対し、ものすごく無駄な事をさせられていたと思いませんか?

学校自体が無駄とは言いません。

働いてくださる教師の方や運営する方は本当に有難い存在だと思います。

学校のシステムには疑問を抱きかねないという話です。

必須科目を通して、新たな発見があったり考えを身に着けたり、コミュニケーション能力をつけたりするメリットもあるので、教育機関として全て無駄かと言えばそれは違います。

そもそも学校教育の段階でおかしい箇所があって、それが大人になって生きづらさを抱える事に繋がっており、人生のメンタルにおいて無駄で逆効果な事してませんか、という主張を抱いてしまいます。

それを義務教育にしてしまっているんです。

だからあなたは、他人軸を、持つべくして持つことになったんです。

そんな機関から他者比較という概念を植え付けられ、優劣をつける事が当たり前の世界を染みこませられたから、あなたは今苦しんでいると考えます。

ここまで私の持論を読んで、あなたの気持ちが軽くなれば幸いです。

自己嫌悪が和らげば幸いです。

自己嫌悪することが自然だとしても、そんな苦しい思いは抱きたくない

これに尽きると思います。

他人軸で考えてしまうせいで生きづらいということを解説しました。

ではどうすれば苦しい思いを抱かないようになれるのか。

無責任に感じてしまうかもしれませんが、私なりの助言を放ってしめくくりましょう。

それは、他人軸はどんどん捨てていく事です。

それにより、自分軸・・・つまり、自分の心に従う生き方をどんどん取り入れていく事が、あなたを輝かせる第一歩になります。

誰かの評価を気にして生きていると、いつまでも苦しいまま、なんとなく楽しくないままで生きる事になってしまいます。

自分軸で生きられない環境なら、思い切って環境を変えてみるのも手です。

あなたのエネルギーの使い方は、誰かの評価を満たすことではなく、あなたが生きやすい方法を探す事に使うことをおすすめします。

あなた自身が、人目も気にせず没頭出来て、自分なりに成果を出せること、つまり誰とも比較できない自分だけの趣味を見つけてしまうことが自分軸を持つ第一歩です。

それはどこにあるのか。

答えは、あなたが本当に小さい頃、もしくは最近なのか、それはわかりませんが、無意識のうちに没頭して取り組んでいた、ずっと楽しかった事。です。

あなたが笑顔だった過去に答えはあります。ちょっとオシャレっぽい事を言ってしまいました。

それでは今回はここまでになります。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

参考文献

『嫌われる勇気』岸見一郎

『自己と他者』 ロナルド・D・レイン

『モチベーション3.0』 ダニエル・ピンク

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