前編はこちら
前編の内容、覚えていらっしゃいますか?
「他人の成功や発信をみると、なぜかもやもやする、不快になる」
それはあなたの防衛本能であり、何かしらのサインを心があなたに送っているんだという話をしましたね。
「でも、そうだとしても、自分てひどいやつだ・・・」
もう、このように思うのは今日でおしまいにしましょう。
事実というダメージ エビデンスレベル2
文字で表現するとひねくれた考えのように思えてしまいますが、どうかまっすぐ受け取ってください。
他人の成功や努力を見ることは、自分の現状との大きな差を突きつけられる経験にあたります。
心の傷に苦しんでいる状態だと、特にその感情を加速させてしまうんです。
自分ができていない事を、他人が成し遂げて見せつけられると、それが事実として重くのしかかり、自分の無力さや劣等感を強く感じることがあります。
さらに、その現実を事実として受け入れがたいから、嫌悪感や反感として表れることがあり、時には攻撃性を表してしまいます。受け取らないことで防衛するんでしたね。
ところがその事実を受け入れてしまったら・・・?
自分の事を嫌いになっていく可能性があります。それも著しくスピードで。
具体的には
「自分はダメなやつ、社会から孤立してしまっている、不適合、群れに適していない存在なんだ」
と自己否定してしまい、それはやがて、私は存在してはいけないのだ、と飛躍してしまう事に繋がるんです。
自身の存続を守ろうと必死な中、事実を突きつけられる事がいかにダメージであるかわかりますか?
社会的比較理論
(Social Comparison Theory, Leon Festinger, 1954)
心理学者によると、人間が自分の能力や意見を評価する際に、他者と比較する傾向があると述べています。
この理論によれば、私たちは特に自分より優れた他者を見ると、自己評価が低下しやすい事が示唆されています。
「社会的比較と自己評価の関係」(Suls & Wheeler, 2000)
だから事実を受け入れないように、防衛本能が働くんです。
競争的な環境で自分を守るための本能的な反応とも言えます。
あなたが壊れないために、頑張る人達を妬ましく思い、視界に入る事すら鬱陶しいと感じるんです。
心があなたの味方をしているから起こる現象なんです。
今それを認めて受け入れてしまうと心が壊れる事を体は知っているんです。

これらの要因から、私が勝手に考え出した言葉があります。
他人の成功はあなたへの暴力
他人の努力もあなたへの暴力
事実という存在は時にあなたの心の敵
という言葉が浮かんでしまいました。
とても悲しいと思いませんか?
発信者たちはそういう意図で行動してるわけではない事の方が多いです。
これを勘違いして嫌悪のままに攻撃をするとトラブルに発展したりするわけです。
誰が悪いなんてありません。
(Social Threat Theory, Baumeister et al., 1996)
自己評価が低下すると、人は自己を防衛するために攻撃的になりやすいと報告されています。
特に、社会的評価が脅かされるときに、その反応が強まるとされています。
「社会的地位の低下が攻撃行動に及ぼす影響」(Bushman & Baumeister, 1998)
事実という物が以下に、心の傷を負っている状況で危険となるのか伝わったでしょうか。
しかし、なぜ周りからの影響をここまで受けてしまうのでしょうか。
何がそうさせてしまっているのでしょうか。
他人軸で生きてしまっている エビデンスレベル4
今の風潮、社会的に「こうでなければならない」「成功しているべきだ」という期待やプレッシャーが強い世の中だと感じませんか?
そして、その期待に応えられない自分自身を自覚し、もどかしく思っていないでしょうか。
そんな中、他人の成功という事実を見るたびに、できていない自分を再認識させられます。
「自分って劣ってるよな・・。比べたくないのになんで比べるんだろう・・」
これは、他人軸という、誰かからの評価基準に合わせて生きてしまっているから、あなた自身が無意識のうちに、あなた自身に優劣をつけてしまって起こる感情です。
そうして優劣をつけてしまうから、他人と自分の間で優劣を感じてしまうんです。
そもそも優劣なんてないのに、あえてあの人と自分を比べ、自分自身に劣りをつけてしまうから、自己否定に繋がってしまうんです。
「世間一般で言われる成功に当てはまってればOK、失敗に当てはまっていたらNG」
こういう判断が他人軸です。
自己決定理論
(Deci & Ryan, 1985)
デシとライアンは、人が自律的に行動できるとき、自己肯定感が高まり、幸福度が向上すると述べています。
逆に、他者の期待に左右されると、自己評価が下がりやすくなるのです。
「内発的動機と幸福感の関係」(Sheldon & Elliot, 1999)
そもそもあなたの今の状況、他人からの評価や社会的評価、お金などの状況を抜きにしたら本当に失敗ですか?
他人軸なんていつ作ってしまったのか?
あなたが幼い頃から通っていたあそこではないかと思っています。
学校です。
私はこう思います、何の文献もなく根拠もない持論です。
小さい頃から学校教育で
「こうあるべき、これが正しい」「テストの点数など目に見える成果をあげた人が素晴らしい、そうでない人は頑張っていない、頑張らせるべき、劣っている」という考え方が学校から植え付けられて大人になってしまいました。
これは自分軸ではなく他人軸で生きる考え方にあたると考えます。
そのような生き方が幼い頃に形成されてしまったからこそ、今大人になって、成功していたり頑張っている発信者と自分を比べてしまいやすい状態に既になっていると考えます。
その結果、決してそうではないのに、自分が頑張っていないように感じてしまったり、成果を上げていないように感じたり、努力が足りないように感じたり、怠けているように感じてしまうのではと思っています。
この、常に他人軸な思考のせいで、自己否定を加速したり、自分が排除されるのではないかという危機感を募らせていると考えます。
私の持論に共感くださった方は、こう思ったのではないでしょうか。
「あれ、別に自分って悪くないんじゃ?」
はい、悪くないんです。
「そういえば学校で比べられまくる環境にいた気がする」
そうです、成績表とか、ましてや順位を張り付けるとか意味わかりません。
順位付けが優劣を加速させる
「1位?すごいすごい!!」
「2位?すごい!」
「3位?すげぇ!」
「4位?おー、すごい!」
・・・
「10位?おお、載ったじゃん、すごいね」
なんでリアクション薄くなるんでしょうね?
オリンピックやスポーツ選手など、順位が絶対な業界へ行くならわかります。
しかし、そうでもない場所でなぜ順位をつける必要があるのでしょうか。
1位がとても偉く、10位は1位よりは偉くない。
偉いけど1位と比べれば偉くない。
とでも言いたげですよね。
「1位も10位も偉いと言うのならそもそも順位なんてつけるなよ」
そう思います。
そもそも、個人にはその人の良さがあり、不得意な事もあります。
にもかかわらず、不得意な事、興味持てない事をやらされまくって、それに対して評価がつけられ、誰かと比較なんてされたらまっすぐ育ちません。

国数英理社、体育、美術、技術、音楽、書道、道徳、情報あと忘れました。
これだけでは個人の良さは発揮できず、お笑いのセンス、漫画のセンス、小説のセンス、片付けのセンス、などなど、学校の教科にはなく眠らされるままの能力だってあります。
不得意で興味もない事だけを伸ばす環境なら、そもそも教育機関としてどうなの?って思いませんか?
あなたが大きくなってから、学校では発揮できなかった良さを掘り起こすため、改めてお金と時間を払って専門を学びにいかなければならないような構造に対し、ものすごく無駄な事をさせられていたと思いませんか?
学校自体が無駄とは言いません。
働いてくださる教師の方や運営する方は本当に有難い存在だと思います。
学校のシステムには疑問を抱きかねないという話です。
必須科目を通して、新たな発見があったり考えを身に着けたり、コミュニケーション能力をつけたりするメリットもあるので、教育機関として全て無駄かと言えばそれは違います。
ではなく、そもそも学校教育の段階でおかしい箇所があって、それが大人になって生きづらさを抱える事に繋がっており、人生のメンタルにおいて無駄で逆効果な事してませんか?という主張を抱いてしまいます。
それを義務教育にしてしまっているんです。
だからあなたは、他人軸を、持つべくして持つことになったんです。
そんな機関から他者比較という概念を植え付けられ、優劣をつける事が当たり前の世界を染みこませられたから、あなたは今苦しんでいると考えます。
ここまで私の持論を読んで、あなたの気持ちが軽くなれば幸いです。
自己嫌悪が和らげば幸いです。
まとめ
他人軸で考えてしまうせいで生きづらいということを解説しました。
ではどうすれば苦しい思いを抱かないようになれるのでしょうか。
私なりの助言を放ってしめくくりましょう。この助言では曖昧過ぎて無責任に感じるかもしれません。
他人軸はどんどん捨てていく事です。
それにより、自分軸・・・つまり、自分の心に従う生き方をどんどん取り入れていく、正解はあなたが決めていく事が、あなたを輝かせる第一歩になります。
誰かの評価を気にして生きていると、いつまでも苦しいまま、なんとなく楽しくないまま生きる事になってしまいます。
自分軸で生きられない環境なら、思い切って環境を変えてみるのも手です。
自分自身が、人目も気にせず没頭出来て、自分なりに成果を出せること、つまり誰とも比較できない自分だけの趣味を見つけてしまうことが自分軸を持つ第一歩です。
それはどこにあるのでしょうか。
あなたが本当に小さい頃、もしくは最近なのか、それはわかりませんが、無意識のうちに没頭して取り組んでいた、ずっと楽しかった事。の中にあるのではないかと思っています。
今まで本気を出せた経験はありますか?
これまで夢中で取り組んだ事を思い出せますか?
それでは今回はここまでになります。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
参考文献
『嫌われる勇気』岸見一郎
『自己と他者』 ロナルド・D・レイン
『モチベーション3.0』 ダニエル・ピンク
