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今回のテーマは、上中下の長編をお届けしていきます。
社会に出なくちゃならない事はわかっていましたが、なかなか一歩が踏み出せなかった頃の心理が何だったのかを読み解いていきます。
この考えは完璧主義が出ているかも エビデンスレベル2
世の中に自分を出す事に恐れがある状態は、完璧主義が働いている可能性があります。
心理学的に、完璧主義には適応的なものと非適応的なものがあり、特に『失敗への恐怖』が強いタイプの完璧主義は、行動を抑制する傾向があるとされています。
「Frostの完璧主義尺度(FMPS)」に基づく完璧主義の分類(Frost et al., 1990)
私が社会復帰を果たすまでの過去の思考を開示します。

- 時間にしっかり出勤しなければ
- 与えられた仕事をこなさなければ
- 嫌われないようにしなければ
- 報連相しなければ
- ビジネスマナー間違えないようにしなければ
- 要領よくやらなければ
- 出来ない奴と思われてはダメだ
- 8時間やりきらなければ
- 次の日のために生活習慣も正さなければ
- 週に5回いかなければ
- 無能だと思われたくない
こんな考え方でした。
共感くださる方、いらっしゃるでしょうか。この思考を文字に起こしてみてどうでしょうか。
完璧を求めていると思いませんか?
これ全部をきっちり、欠かさずやれてる人がどれぐらいいるでしょうか?
「いや?俺は全部完璧にやってるよ?当たり前すぎだろ笑」
こんな反論を唱えてる人、ほんとにそうなんですかね?
自分に都合よく解釈して、グレーでやってるだけのとこを、完璧にやってると主張してる気がしませんか?
全部完璧にやってたとして、それを証拠として出せますか?
答えはNOです。というか個人的に、こういう返しをしてくる人とはそもそも議論も相談もしたくありません。
「え、なにキミ、甘い事言ってほしいの?『うんうん、毎日しんどいよねー』とか言ってほしいの?」
仰る通りです。しかし、それを望むことの何がいけないのか私にはわかりません。

共感があるからこそ、問題と改善策が見出せて、次の行動が見つかると考えています。
ただしんどいことを共感してほしいのではなく、人の気持ちがわからない、考えようともしなさそうな人とは話ができないというのが私の性格です。
なかなかめんどくさい性格だと思いませんか?ただこれを全くデメリットに思っていませんが・・・。
少し脱線しましたね。話を戻します。
社会の現実
さて、社会の実態では、遅刻0の人、思うほどいません。
仕事を毎回きっちりやれる人、思ったほどいません。適度にサボったり楽をしています。
ハッタリの人なら社会経験が少ない頃からでもたくさん見てきました。
その他仕事のこと、私生活、対人モラル、きっちりやってる人はほとんどいません。
「完璧にやってるよ」と、自分から答える人がそもそも少ないです。
完璧にやってるかどうかは周りから見たところで、本人が言うまで中々判断できません。
なので、完璧にやってるかどうかなんて外からはほとんどわからないんです。
にも関わらず完璧を求めるのは、神経を使いすぎてると思いませんか?
完璧にやり、評価されたところで、やりたくない仕事、無駄な仕事を増やされ任されるだけではないでしょうか。
やりたくない仕事をこなしつづけるベテランになるだけではないでしょうか。
仕事の足を引っ張ればいい、と言う訳ではありません。
個人がこなせばいい範囲を超えてまでこなす事を、前提に置いていませんか?ということです。
社会に出る事への怖い気持ちは痛いほどわかりますが、実態は気兼ねなく自分の事をしっかりやればOKなところが多い印象でした。
完璧が貢献とは限らない
完璧主義を出してフルパワーで頑張って燃え尽きるのは両者メリットがありません。

あなたが無理なく続けて、足を引っ張らない範囲での継続が何よりの貢献だと私は思います。
既に、あなたの時間を提供する事が確定しているならその時点でメリットを社会に提供しています。
ですが、これを頭ではわかってても体と脳は思うようにいきません。
そこには、心が恐れを抱いている背景が考えられます。
ではその完璧主義っていったい何なの?という部分を科学的にみていきましょう。
科学的に見た完璧主義とは
完璧主義は、以下のように説明されることがわかっています。
自分や他者に対して極めて高い基準を設定し、全てにおいて完璧を追求する性格や態度の事。
野村 総一郎「完璧主義とうつ病:高すぎる目標設定が引き起こすもの」(筑摩書房, 2016)
そして、自分の行動や成果に対して厳しく、少しのミスや欠点も許容できず、常に理想的な結果を求める。
完璧主義はプラス面とマイナス面の影響を及ぼす事もわかっています。
プラス面:目標達成に対して強い意欲を持ち、高い成果を上げる可能性があります。
マイナス面:失敗への恐怖や自己批判、ストレス、過度なプレッシャーを抱えやすく、精神的な負担が増大する可能性があります。
そして、心理学的には二つに分類されることもわかっています。
適応的完璧主義: 高い基準がありながら、柔軟で、失敗や欠点を学びと捉える傾向がある。
非適応的完璧主義: 失敗や欠点に過度に反応し、自己批判が強く、不安やストレスが増す傾向がある。
加藤 諦三「完璧主義者はなぜ苦しいのか」(PHP研究所, 2009)
私はこの記述を知って、完璧主義は諸刃の刃という解釈をしました。
完璧主義を、精神面での傷になる可能性として扱っていく中で、このような文章も見つけました。
流し読みで構いません。
完璧主義は、過度の自己批判や失敗への恐れを伴い、不安や抑うつの原因になることが多い。
【Flett, G. L., & Hewitt, P. L. (2002). Perfectionism: Theory, Research, and Treatment】
研究によると、完璧主義は不安障害や鬱病との強い関連があり、特に社会的状況での恐怖感を増幅させる事がある
認知的なバイアスと自己嫌悪
【Egan, S. J., Wade, T. D., & Shafran, R. (2011). Perfectionism as a transdiagnostic process: A clinical review】
自己否定的な思考は、完璧を求めることと密接に関連しています。
認知行動療法の研究では、完璧主義的な考え方が否定的な感情を引き起こし、現実的な思考を妨げることが示されています。
失敗を恐れることの心理的影響
野村 総一郎「完璧主義とうつ病:高すぎる目標設定が引き起こすもの」(筑摩書房, 2016)
人が失敗を恐れる背景には、自己評価の低下を避けたいという無意識の動機が働いていることがあり、これは完璧主義と関連しています。
完璧主義者は、成功と失敗を白黒で捉えがちで、失敗を避けるために活動を控えることがよくあります。
加藤 諦三「完璧主義者はなぜ苦しいのか」(PHP研究所, 2009)
マイナス面に働く非適応型完璧主義の身近な例
難しい文章が続いたので、それぞれを私が解釈した内容でまとめます。
例
働いたことのない人がスーパーの品出しのバイトに真面目に挑戦する姿勢を想像しました。
- 1つ売れたら、その1つすら欠品がないように常に陳列に気を付けなければならない
- 見栄えがいいように、並びが綺麗に、向きもそろえなければならない
- それを全商品でやることが、美しい品出しである。
- 社会からも、会社からも、それを求められていて、そうある事が評価につながる
どうですか?理想論過ぎて無理でしょ・・・と私は思います。
そもそもそんなスーパー見たことありますか・・・?あなたがお客様の場合、そこまで求めますか?
しかし完璧主義が働くと、そうある事がレベルが高い、ではなく、やるべき、になってしまうんですね。
これができないと評価が下がるだとか、そこまで出来ないから働けない、と、極論を勝手に作り出してしまうわけです。
少しでもできないと失敗である、駄目である、と強く否定してしまい、それが続いてしまうと、自分はできないという自己否定に陥ってしまうんですね。
また、それに気を取られすぎていると、他にも任されている業務が厳かになってしまいます。
その結果、自分は容量が悪い。完璧主義のせいで落ち着いて働けない、タスクをこなせない
という認識に陥り、自己否定をしてしまいます。
このような経験を持ってしまうと、いざ次に世の中へ出ようと思っても
あんなこともできない自分は無理だろう
だとか
あそこまで頑張らなくちゃいけない世界なんて無理だ。
と、自分の能力と世間から求められていることを誤認します。
しかも、あたかもそれが普通なんだという錯覚を起こし「自分は社会に適応できないんだ・・」と誤解し決めつけ、もっと責めてしまうんです。
無意識に自分で高くしてしまったハードルを想像し「自分には無理だな」という思考をし「自分がやったってどうせさ・・」と、取り組んだ時に失敗する事が怖く、失敗してもっと自己否定してしまう事が怖いから、より踏み出せなくなってしまうループになってしまうという事です。
完璧主義のデメリット大きすぎませんか・・・?
その悩みは完璧主義の裏返し エビデンスレベル5
さて、ここまでの例やまとめを読んでいただいてどうですか?
抱えた不安は完璧主義からきていませんか?
実際に私が社会復帰を果たし、会社を経験したうえで「あぁ、過去のあの考えは完璧主義だったんだな」と感じた経験談を届けます。
↓まず、社会復帰の前に世間の声や自分で抱いていた社会人の印象です。↓
社会面(想像)
- 遅刻は怒られ、出勤時刻の15分ぐらい前からは居るのが当たり前
- 常に体を動かして汗を流して働く事
- 年収300万もないのは負け組である
- 帰ってからも仕事に繋がる勉強は社会人ならするべき
- 流行を知る、ニュースも把握する(うっせぇわの歌詞にもありましたね)
- 自分の会社の理念など、把握していること
対人面(想像)
- 挨拶は嫌な人でも絶対
- 関わる人の機嫌は取っていく方が円滑に生きていける
- 付き合いには参加すべき
- 自分が下手に出る事の方が多い
と思っていましたが「ただの完璧主義なだけだったんだ」と思えたエピソードを開示します。
実際に社会復帰をして体感した事実(仕事面)
ギリギリ出社について
ギリギリ出社でも業務には支障なく、人によって煙たがるぐらいであり、それでも問題なく回る仕組みがすでにある。そもそもギリギリ出社を誰も気にしない企業もありました。むしろ現代では1分単位で残業をつける風潮が増え、就業時刻での開始を告げる会社も増えてきました。
※企業によっては何分も前に出社する事が文化だったり、周囲の意欲の事もあるので、必要だと判断される場合は従った方が無難です。嫌がらせや仕事をちゃんと教えてくれないといった悪影響を、感情を仕事に持ち込んで及ぼしてくる輩もいますからね。
ギリギリ出社を勧めるわけではないので誤解のないようにお願いします。
常に体を動かしているのか?
実際は常に体を動かしているわけでもなく、一息つくタイミングはたくさんあります。
「たばこ休憩!」なんていって職場のどこにもいない人もいます。
トイレの回数も人によって違いますし、さくっとタスクをこなした人は誰かと喋っている、なんてことも普通にあります。
やらなければならない事はたしかに存在し、それに長時間取り掛かりますが、きちんとそれを維持する息抜きや手の抜き方もありました。
また、しっかり仕事をこなせるのなら1時間休憩のほかに細かい休憩を取ってもいいと定めている企業もありました。もちろん休憩扱いです。
年収が低いのは負け組かについて
収入はマウントの要因だったり、使命感だったりで数字を気にする風潮があるだけの印象です。あくまでも主観です。
今の収入でも楽しく生きる方法は無数にありますし、それは個人が決める事でした。
誰かがとやかく言う意味もなければ「平均収入に対してこの金額は・・」というのは完全に他人の価値観でした。外的要因に踊らされた考えだと思いますよ。
矢沙玖世間で言われている平均収入、世帯収入、将来必要な貯蓄というのは、自分が送りたい生活を細かく想定したうえで算出される値とは全然違うので、幸か不幸かの判断という面では全く参考にならないと感じますがいかがでしょうか。
収入が低くても穏やかで暮らせて幸せなら勝ち組だと思います。
収入が高くてもその額で誰かを見下したり、収入ゆえの忙しさによるストレスで人にあたったり、嫌がらせをする方がよっぽど人として負け組だと思いますよ。これも主観です。
プライベートでも仕事の勉強は求められるのか
まず、仕事に関わる勉強は仕事の時間内にやってほしいと求める企業もあります。
「業務に関わる事を学べ」は業務命令にあたる法律があるからです。把握してる企業も多数存在します。そこまでしなくても会社が回るような仕組みが既にあるのも多くの事実でした。
よって、社会人なら社員としてこうあるべきというのは、タスク遂行に密接には関わらない印象を受け、そこまでは求められていなく、誰かの自己満足や主観の押し付けであり、挙げだせばきりがないということがわかりました。
実際に社会復帰をして体感した事実(対人面)
挨拶
あなたの思うほどきっちりとやってる人、少ないです。
好き嫌いで無視したりする人、います。
真面目な人のモチベーションの邪魔なので社会に出てくるなとすら思います。
ご機嫌取りや付き合い、下手(したて)に出る事
全員の機嫌を取る必要、全くありません。
会社は、給料をもらえる代わりに、法律上認められた業務を社会のために遂行する場所です。
付き合いにも無理に参加しなくていいですし、下手にばかり出る環境にずっとさらされると自己肯定感めちゃくちゃ下がります。
まとめ
踏み出せなくて困っている方に事実をお届けし、気が軽くなれば幸いです。
また、理想が高い状態で社会に出たものの、しっかりやってる人が少ないと感じたからこそ、そのギャップで心身ともに疲弊してはいませんか?
真面目で優しいからこそ、完璧主義を背負ったり、対人疲れをします。
これがいずれ、あらゆる面に対して恐れを抱いたり、億劫な想像がわいてしまい、それら全てをまとめてめんどくさい、に変換してしまいがちです。
こうして自己実現や社会参加に対して、遅れを取っている自分をどんどん嫌いになり、焦りも増していってしまうわけなんです。
これを理解しても「完璧主義を直せたら苦労しないんだよ」と絶望しますよね。
同じ心境の方いませんか?ここで放る事は絶対にしません。
もし苦しんでいらっしゃる方
ひとまずは、自分がやらなければと思っている事を、あなたがもし社会側の人間だったらそれを求めるのか?を自問自答してみてください。
自分だったらそこまで他人に求めないと感じたら、自分を許してあげるところから始めてください。
まだまだお届けしたいですが、文章が非常に長くなってしまいましたので今回はここで一旦終わりにします。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
参考文献
『スタンフォードの自分を変える教室』ケリー・マクゴニガル
『失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織』マシュー・サイド
『「やる気が出ない」が一瞬で消える方法』堀田秀吾